「自分が主語の人生をいかに楽しむか」

 吉田潮さんは34歳のときに「付き合っている男との物理的な証」として「子どもが欲しいという病」に陥り、それまで「夜の暴れん坊将軍」として自由に恋愛を楽しんでいた人生を一転、パートナーとの妊活への道を爆進。その後パートナーとの紆余曲折を経て「震災婚」に至り、本格的な不妊治療を開始しました。

 でも、その道のりは決して平坦なものではなく、「着床」が生活のすべてへとすり替わって「妄想妊娠」を繰り返し、流産を経験し、家族連れを見るのもつらくなり……と疲弊していく中で、「自分はそこまでして子どもが欲しいのだろうか?」との疑問が頭をもたげ、42歳のときに不妊治療をやめる決断へ至ります。「産まないこと」を選んだのです。

――「私は子どもがいなくても自分が主語の人生をいかに楽しむか、だと思うようにした。もちろん、子どもができなかった悔しさや己の不全感のようなものはゼロではなく、心の奥底に汚泥のようにこびりついていたりもする」
(「産まないことは『逃げ』ですか?」本文より)

「色々あったけど女に生まれてよかった」

 女社長として、起業・結婚・出産・離婚・再婚・倒産危機・流産・元夫の死、そして二人目の出産に次々と繰り出される事業展開と、なんだか聞いているほうはフルコースを3周くらい食べているような気になる、川崎貴子さんの濃厚で重厚な人生。44歳で乳がん宣告を受け、「ガン細胞であっても、私に住まうという腹落ち」で受け止め、「我がおっぱいに未練なし」とその場で全摘を決める潔さとユーモアには、何よりも彼女の「生きる」との明確な意志がみなぎっています。

 家族や友人、仕事仲間たちと、手術・闘病にポジティブに徹して乗り越え、「本物の右おっぱいはなくなったけれど、今生きていることに比べたらそれはなんて些細なことであろうか」と人々に感謝し、日常をいとおしく生きる「ニュー川崎貴子」の人生は、やはりそうでなかったもう一本の道を「選ばなかった」からこそ、そこでサバイブして輝いているのです。

――「縁あって家族になれた、私の大切な人たちが笑っている。ただそれだけで、胸が震えるほど幸せだということ」「色々あったけど女に生まれてよかった」
(「我がおっぱいに未練なし」本文より)

40代セカンドステージのお立ち台

 どっちに進むのか、と迷うのは、まだ迷えるから。迷えるだけの選択肢がまだ手元にあるから。

 いずれタイムアップとなったり、否応なしに降りかかってくるものがあったりで、迷いや葛藤を乗り越えた先には「自分で選んだ人生」が新たに始まります。40代セカンドステージのお立ち台によいしょと乗った、もう迷わない惑わない40女たち。

「これが、私の選んだ人生」迷わない、惑わない40代が始まる (C) PIXTA
「これが、私の選んだ人生」迷わない、惑わない40代が始まる (C) PIXTA

 働き盛り最厚層の40代女たちは、いまそれぞれにもっと強く、もっとしたたかにしなやかに、「自分を主語」にして「未練なく生きる」のです。

【参考】
「産まないことは『逃げ』ですか?」(吉田潮著、KKベストセラーズ)
「我がおっぱいに未練なし」(川崎貴子著、大和書房)

文/河崎 環 写真/PIXTA