姉妹の姉が必ず泣く「サツキとメイ」の関係性

 私の周囲には、なぜか姉妹の「姉」が多いのですが、彼女たちが口をそろえて言うのが、「『となりのトトロ』のサツキとメイ姉妹に自分と妹を重ねてしまって、何度見ても泣いてしまう」ということ。努力家でしっかり者のサツキが、母の病気入院によって家庭の「チーママ」として家事をこなし、頑固で自由な妹の面倒を見、どこへ行くにも手を引いて、自分だってまだ子どもなのに、自分のしたいことを我慢する。そして妹が迷子になってしまうと、責任感の強さからひたすら自分を責める――。

 ステレオタイプなのかもしれないとは重々承知で、どこかで姉とは「真面目で責任感が強く、自立しているようで本当は寂しがり屋」、妹とは「甘え上手で、世渡りも上手、しかも注目を浴びて愛される存在」というイメージがあります。

「サツキとメイ」の姉妹の関係に自分を投影してしまう (C)PIXTA
「サツキとメイ」の姉妹の関係に自分を投影してしまう (C)PIXTA

 きっと、妹の側からすればまた別の意見があるはずだとは思いますが、姉妹の間には、やはり同性であるが故の特別な感情や絆があるようです。

 日本らしい「長幼の序」のせいで、ひょっとするとお互いが何かしらの我慢をしていることもあるでしょう。あるいは、同性の姉妹がいてよかったと思うような、姉妹だからこそ分け合える同じ思いが生じるときもあるかもしれません。同じDNAを持つ相手だからこそ、愛も感じれば嫉妬も感じるかもしれません。心のどこかで「妹よりは」「姉よりは」と比較して、自分の「基準値」にしているようなところも、あったりはしませんか。

 もし、性別も個性も得意不得意も何もかもが違う相手なら、そんなこじれた関係にはならないはずなのです。なぜなら、「比較のしようがないから」。人間は、ある程度共通する部分の多い2つのものを見たときに、それを比較して「差」を探したいという欲望にかられるのだそうです。姉と妹という、同じ家庭の中の同性の子ども同士だからこそ、親も他人も、自分たちでさえ、姉妹を比較してしまうのですね。