職場で、泣いたっていい

 私は、「人間の居場所」である限り、感情は否定せずにある程度解放したほうがいいと考えます。

 家庭でも学校でも日常のさまざまな場面でさまざまな感情が許されているのに、職場だけが特別視されているのは、それが「神聖な」「戦場」か何かだからなのですか? えっ、職場って神聖なんですか? 戦場なんですか? 

 何ですか、その時代錯誤な価値観、おかしくないですか? 日々の糧を得るためや自分の人生を楽しく生きるための、「人間的に生産的に生き生きと仕事をする場所」じゃないんですか?

ここは、人間が生き生きと仕事をする場所なはず(C)PIXTA
ここは、人間が生き生きと仕事をする場所なはず(C)PIXTA

 生き生きと仕事をするには、感情を死なせていたらダメですよね。「怒り」や「嘲笑」のようなギスギスした感情は許すくせに、職場から柔らかくて豊かな感情を排除し、色のない冷たくて硬い箱のままにしておく古い価値観は、もうオワコンです。

泣いた本人が周囲にしてほしいこと

 男性も女性も、本当は「泣いてもいい」と誰かに言ってもらいたいのではないかと思います。でも、泣いてしまった人の中にはこんな声もありました。

 「職場でちょっと泣いたらすぐ上司が『面談しよう』と言ってくる。いや、もう、放っておいてください(笑)。落ち着きますから」(30代女性)

 泣いてしまった人は泣いてしまったなりに、「普段どおり接してくれる人がありがたい」ものだそうで。

 そう、だって泣くのは自然な感情なのですから、周囲も「笑う」「怒る」、なんなら「くしゃみする」と同じレベルで大ごとに捉えなくていい。自然に「スルー」するくらいのいいバランスで済ませる程度が、自然な感情をお互いに許すということなのですよね。

文/河崎 環 写真/PIXTA