男性にも「男の子は泣いちゃダメ」という抑圧が覆いかぶさる

 そういえば、なぜ男性は泣かないものとされているのでしょうか?

 そんなワケないですよね、男だって泣きますよ。小さい男子を見ていると、本当によく泣きます。だって悲しいときや痛いとき、怒ったとき、感情が高ぶると涙が出るのは人間なら当たり前ではないですか。

 でも、「男の子なんだから泣いちゃダメよ」とか「泣くな、男だろう!」って誰かに言い聞かせられ、「なんで、『男だから』泣いちゃダメなの?」という疑問を持つ余地なく、大人の言うことをちゃんと聞いて、必死に涙をこらえて育ってきた真面目な男性に限って、こう信じるに至るのです。

 「感情をコントロールできないやつは、ダメなやつだ」「論理的に物事を考えられる人間のほうが、上等だ」「感情は論理に劣る」――。

 ところが、そういう典型的な男性軸の価値観で見落とされていることが一つあります。それは、男性社会では「涙」への(むしろヒステリックなほどの)強い拒否感があるにもかかわらず、「怒り」を割と暴力的に表出させることに対しては、驚くほどハードルが低いということです。

なぜ男性の怒りは許容されやすいのか?

 日本では、子育ての上であまり「ジェンダーによる選択的な感情の抑圧」が語られることはありませんが、特に児童や青年の精神医学や心理セラピーが発達している欧州や北米では、子育ての文脈で「女の子だから」「男の子だから」と、振る舞いや服装だけでなく「特定の感情活動」を大人が抑制したり助長させたりすることの危険性が、広く認識・共有されています。

 例えば小さな女の子が砂場で他の子供に自分のバケツを無断で取られ、思わず怒って大声で「返してよ!」と叫び、力ずくでもぎ取ったとき、周りの大人は眉をひそめてこう思いがちです。「あの子、『女の子なのに』”性格キツくて激しいのねぇ。怖いわ」。一方、もしその女の子がバケツを取られた瞬間なすすべもなくシクシク泣いたなら「かわいそう」とされ、「○○ちゃん、おとなしい性格よね」と、そちらは案外容易に受容されるのです。

 ところが、これが小さな男の子だったとき。男の子が「返せよ!」と大声でバケツを取り返したら「あらー、男の子がケンカしてるわー」と、それは大人からとりなされる程度で、日常の一シーンとして受容されやすいものだったりします。一方、なすすべもなく泣こうものなら「○○くん、気が弱いわよね」と言われ、親は「『男の子なのに』こんなに気が弱くて、将来大丈夫でしょうか」と猛烈に心配するわけです。

この頃は、悔しくて、悲しくて、うれしくて、男の子も女の子も思いのままに泣いていたのに(C)PIXTA
この頃は、悔しくて、悲しくて、うれしくて、男の子も女の子も思いのままに泣いていたのに(C)PIXTA

男子は「泣く」、女子は「怒る」を抑圧されがち

 つまり、実は子育ての上で、男子に対しては「泣く」こと、女子に対しては「怒る」ことが、ジェンダー選択的に抑圧されがちである。このことを社会が理解・認識しているか、そして自戒的であるかどうか、そこが社会のジェンダー意識があぶり出される部分です。

 日本では、子供を育てる文脈で、しつけや教育には関心がとても高いように感じますが、そのような「感情をバランス良く育てる」という意識は薄いように思います。

 その結果なのでしょうか、「泣くことを禁じられた(強くて無感動な)男」と「怒ることを禁じられた(素直で従順な)女」が「正解」として、かつての日本社会にたくさんいましたね。今もその名残があるようです。

 電車が遅延して、駅員さんに異様な剣幕で怒りをぶつけているおじさんや、理不尽な暴力を受けるなどしたのに失語してただ泣くばかりの女性を見ると、「ああ、この人たちは全身で悲鳴を上げているのだ」と、感情を長い間抑圧されて自己制御を失った彼らを思い、私はそれこそ泣かんばかりの怒りと悲しみを感じます。