「普通はこうなのに、なんで自分はそれができないんだろう」

 一方、評論家の宇野常寛さんが「月刊カルチャー時評」にて、「これはフェミニズムの成果を一通り受け止めた上で、それをどう現代に軟着陸させるかという話なんだ」と言うほどに実験的社会論考の深さを高く評価された「逃げるは恥だが役に立つ」。

 同じくドラマ化され大人気を博することでタラレバ娘とよく比較され、タラレバ批判派が「よかった」と評価を多く寄せる「逃げ恥」には、「タラレバ」に没入できない読者がこちらでは没入できるスポットがあったということです。

 それは、作者・海野つなみさんが第3巻後書きで自作を語った中の「普通はこうなのに、なんで自分はそれができないんだろう」という自問自答なのだろうと考えます。

「『普通』って、本当に数少ない選択肢しかなくて」
「でも、実際は、普通ではないかもしれないけれど、扉っていくつもあると思うのです」
「普通じゃないかもしれないけれど、この扉の向こうにも別の世界が広がってますよーということが伝わったらいいな」
「こっちの方向へ行け!というのではなく、いろんな方向を探すきっかけの一つになったらいいな、と思います」

(「逃げるは恥だが役に立つ」第3巻後書き/海野つなみ より)

 いみじくも、話題を呼んだ批判的レビューの筆者、女子漫画研究家の小田真琴さんも、別の作品を扱ったコラムでこう書いています。

いつだって私たちは幸せになりたいだけなのに、求めていた「普通の幸せ」は、実は全然普通じゃなかったという事実が判明。言うなれば結婚は「自分以外の誰かの心」を必要とする幸せのありようです。(中略)だからと言って「自分以外の誰の心もいらない」幸せが、幸せの質として劣っているわけではないことは、本作を読めば即座に諒解いただけることでしょう。こつこつと貯金することの喜び、数少ないけれども大切な友達とのひととき、不意に感じる人の優しさ。(中略)「孤独者たちの幸せ」「孤独者たちの緩やかな連帯」というテーマは、ここでも健在です。
(小田真琴「「誰の心もいらない」幸せを説く『プリンセスメゾン』、関係性の息苦しさをほぐす処方箋」/サイゾーウーマン より/記事末URL参照)