日本の小学校はこのままでは「やばい」し、PTAも「やばい」

 そして3年前にも私は下の子の公立小PTAにPTA副会長として真正面から取り組みましたが、確かに先生たちは一人一台PCを持っていたし、お母さんたちもスマホでLINEやFacebookをやっているけれど、学校PTAのシステムや業務遂行の実態においては10年以上の時を経ても未だ大きな変化のないことを実感しました。

 体感値としては5割までワーママ(パート含む)率が上がったにもかかわらず、相変わらず昼間に対面会議が何度も行われがちで、意思決定にはどんな些細なことでも先生たちによる何重もの関門があり、やはり何でも紙に印刷。行事や地域ぐるみの会議があるたびに膨大な手作業、自治体のどこかから「PTA参加」会議や講演の動員がかかれば出席、地元のご高齢有力者にご挨拶回り、失礼や漏れやトラブルがあれば学校に馳せ参じて関係者に頭を下げ……。

 渦中にいたときは「大したことない、大丈夫、これもやり甲斐」と自分に言い聞かせていましたが、冷静になったいまなら認めます。

 PTA本部役員には「子どもたちの豊かな学校生活のためのボランティア」以上の負担がありました。学校って「奉仕の精神」とでもいうのか、「子どもたちの教育のために」という大義の下に精神論がいとも簡単に横行し、それゆえに本来すべきことの上に形式的で空虚な手続きや業務が疑問を持たれることなくどっかりと乗っかり、非効率が放置されているんです。

 そう、日本の小学校はこのままでは「やばい」し、PTAも「やばい」んです。

改革をしても、”善意”で数年後にひっくり返される謎の無限ループ

 先月末、来春小学校入学を控えたお子さんを持つワーママによる、はてな匿名ダイアリーへの投稿が凄まじい話題を呼びました。

■「小学校やばいPTAやばい」
(はてな匿名ダイアリー/リンクは記事末参照)

 入学前の保護者説明会に行って初めて知る、日本の公立小学校やPTAの「えっ、イマドキそれで通用するとお考えで?」な、世間一般基準から遥か遠く遊離した非効率な「常識」。現代のワーママならではの合理的な視点から、バッサリと斬るさまが小気味のよいブログエントリです。

 ただ、この指摘はもうこの10年以上ずーーっと、母親も父親もあらゆる「社会性の高い保護者」がネットでさんざん手を替え品を替え論じてきたことではあるのです。

 同じことがPTAへの任意加入を断わって話題となった、あるお母さんの話にもいえます。

■#PTAやめたの私だ 「入会しません」 ひとりの主婦の静かなる抵抗
(BuzzFeed/リンクは記事末参照)

 「PTAは義務だと思っていた。任意加入だなんて知らなかった。参加が強制的だ」と、これまでの親たちが散々文句も言って、人によっては自分から飛び込んで組織改革をし、合理化し、規約を変え、引き継ぎもきっちりやってきた、これまでの親「みんなが通った道」なんです。

 なのに、まだ同じ不合理と非効率が繰り返されるのはなぜか。

 それはPTAという場が、行きずりの人材による、単年度ベースの短命な組織だからなんです。