早炊きモードでもおいしい、体が喜ぶご飯

 ご飯の炊き方も最近は変わってしまいました。ブランド米においしさを求めながらも、タイマー付き炊飯器で炊いていませんか。水気で雑菌は急速に増殖しますから、水に漬け置きしたお米がおいしいわけがない。

 一番おいしくご飯を炊く方法として日本人がずっとやってきたのは、お米を研いでぬかを落とし、ざるに上げて、夏場なら30分、冬場なら1時間、だいたい40分ぐらい置いておくこと。そうしたお米をきれいな水で炊いたら、古米でもおいしく炊けます。炊飯器も早炊きモードでいいんです。

 ざるに上げるのも、今より1時間早く起きなきゃいけないと気張らず、前日に洗ってざるに上げたらすぐにポリ袋に移して冷蔵庫に入れればいいんです。その洗った米を翌朝炊く時間がなかったら、夜炊いてもおいしく食べられます。

 ちゃんとした手順で炊いたご飯は雑菌の数が全然違う。傷みにくいですから、熱々のうちに握っておむすびを作ったら、暑い季節でも長い時間持ちます。私も、新幹線に乗るときなどは熱々のご飯で握ったおむすびをそのまま籠に入れ、蓋をして持っていきます。

 舌先を喜ばせてくれる焼肉やらおすしやらは、快楽的な食べ物です。脳を喜ばせてくれるかもしれないけれど、食べた後に、「体がきれいになったような気がする」と感じる食べ物とは違います。もぎたてのリンゴであったり、旬の野菜であったり、びっくりするような大きい声でみんなが「おいしい!」と言わないような食べ物の中にこそ、心地よい食べ物、毎日普通においしい食べ物が潜んでいる。感じるのは脳ではなく、私たちの体の細胞です。

 体には37兆個もの細胞があります。そのすべての細胞が喜ぶ。体が気持ちよいということは、すべての細胞が喜んでいることだろうと想像するわけです。舌先で味わうものではなく、自分が食べてから排出するまで全部が心地よい、それを体で感じながら味わうことが毎日の食事ではないでしょうか。

 女性はそうした感覚を理解しやすい。それは、女性が命と近い関係にあるからでしょう。家庭を持ったとき、子どもができたときに、女性はお料理を頑張らなければと思う。なぜそう思うのか。現代社会にあふれている人工的なものを信じるなら、お料理なぞ頑張らず、子どもはすべて人工的な食事で育てたらいい。でも、「それではいけない」と女性は思う。自分の中に残る自然がそうした気持ちにさせるのです。

 一方、日本人は自然信仰だというけれど、今の社会ではその自然を大切にしません。科学的に説明できないものを価値がないように思い、素直に心が動かせなくなっている。それが、暮らしにまで影響しています。

 その証拠に、日本人は美意識が高いというけれど、「きれいなもの」が少しずつ周りからなくなっています。例えば、プラスチックのパックに入っている豆腐。豆腐店にあるような、角が落ちている豆腐とは違います。角が落ちていてもいい、という感覚がなくなっている。悲しいことです。

 きれいなものは安心なものです。しかし現代では、自分がきれいと思っているものを、まず疑ってみなくてはいけません。

 「姿がいい人」という表現があります。これは、人の表面的な美しさだけを指すのではありません。その人の内面すべてを指しているのです。「美しい人」と言われたらうれしいかもしれないけれど、「姿がいい人」「きれいな人」のほうが大切かもしれない。きれいな人は、言葉遣い、振る舞いも美しい。日本語では、「きれい」という言葉を使って、きれいな仕事をする、きれい(清潔)にしておきなさいという表現もします。真善美という人間にとって本当に大切なことを一言で表現するのが「きれい」という日本語のすごいところ。きれいであることは嘘偽りがないということで、それをよりどころにするのが、本来の日本の文化なのです。


 後編・料理がずらり並ぶ食卓でなくていい 土井さんの提言は に続きます。

聞き手・文/大塚千春 写真/清水知恵子


「一汁一菜でよいという提案」

著者:土井善晴
出版:グラフィック社
価格:1500円(税抜)
 ■ Amazonで購入する