「ありたい自分」も大切にする

清田 僕は昔から、いかにも才能のありそうな、ちょっとぶっ飛んだ格好をした不思議な人への憧れがありました。それが僕の「ありたい自分」です。実際にそういう外見にしようと思ったこともありますが、まったく似合わなくて、悲しいかな自分には「異彩を放っている」部分はないと悟りました。だから、あんまりぶっ飛んだ格好すると、「周囲から見た自分の印象」との間に大きなギャップができるんです。するとどこか痛い感じや、悪印象を生みかねないちぐはぐな印象を持たれてしまいます。

――確かに、ぶっ飛んだ格好と清田代表のイメージは結び付きませんね。

清田 ただ、気を付けたいのは、「ありたい自分」を諦めてすべて「周りから見た自分の印象」に合わせると、今度は印象自体が薄くなってしまうということです。記憶に残らないし、自分自身もそれではしっくりこないから自信が持てない。それだと人と仲良くなる上でマイナスになってしまいます。だから何でもいいので、引っ掛かるものを作っておいた方がいい。そのためには「周りから見た自分の印象」と「ありたい自分」が重なる部分を見つける必要がある。森田専務が以前この記事で紹介していた「共感図」を用いると、こんな感じになると思います。

「周りから見える自分の印象」と「ありたい自分」の重なり
「周りから見える自分の印象」と「ありたい自分」の重なり

――頭では理解できましたが、まだイメージができません。「重なる部分」とは、具体的にはどういうものがあるのでしょうか?