地域の歴史文化を抱く歴史的建造物。価値があることは分かっていても、保存・改修コストの負担から、持ち主や自治体にとっては重荷になりがち。そんな歴史的建造物の保存・活用に関して全国から相談が寄せられるのが、NPO法人旧小熊邸倶楽部代表、NPO法人歴史的地域資産研究機構理事の東田秀美さんだ。東田さんは、1927年(昭和2年)建築の旧小熊邸を移築・復元した「ろいず珈琲館旧小熊邸」(札幌市)を皮切りに、数々の歴史的建造物を地域資産に変えてきた。行政マンでも建築家でもない東田さんに、なぜそれが可能なのだろうか。市民活動と組織運営の極意を聞いた。

東田秀美(とうだ・ひでみ)
東田秀美(とうだ・ひでみ)
1963年小樽市生まれ。高校時代に小樽運河の保存運動に接して市民運動を知る。81年さっぽろ東急百貨店に入社、組合役員を6年間務める。出産退職後、社会復帰の第一歩として歴史的建造物の保存再生にかかわりたいと考え、「旧小熊邸の保存を考える会」設立に参加。非営利組織の面白さを知り、97年「NPO法人旧小熊邸倶楽部」を設立。以降、北海道内における地域資産の保存活用に取り組む。NPO法人景観ネットワーク理事、NPO法人ゆうらん副理事長、認定NPO法人北海道市民環境ネットワーク(きたネット)理事など、市民が主体になる多様なまちづくり活動を展開している

末席の一参加者から保存運動のリーダーに

――旧小熊邸とはどんな建物ですか。

東田理事長(以下、東田):北海道帝国大学農学部の小熊捍(おぐま・まもる)博士の住宅として、建築家の田上義也が設計したものです。田上は、帝国ホテルの設計者フランク・ロイド・ライトの弟子で、旧小熊邸はライトの作風の影響を感じさせる代表作です。その後、北海道銀行初代頭取の住宅となり、北海道銀行が長く所有してきました。建物の老朽化が進み維持費がかさむなかで、「旧小熊邸の保存を考える会」が1995年に発足しました。

――今、NPO法人旧小熊邸倶楽部代表ですが、当時は末席だったとか。

東田:末席も末席。北海道大学の先生方や著名な文化人が、38人も名を連ねておられましたから。でも、会議を重ねても何も決まらないんですよ。ついに「はい、先生がた! 出しゃばってすみませんけど」とホワイトボードをガーッと引っ張ってきて、事務局はどこに置いて誰が担う? 保存運動のチラシの内容どうします? いつオーナーに会いに行きますか? と、決めていったんです。

 並行して署名運動も行いました。「あなたは旧小熊邸をどうしたいですか? 1.現地現況保存、2.移築保存、3.解体も仕方ない、あなたは旧小熊邸のために何をしてくれますか? 1.お金を寄付、2.一緒に汗を流す…」。そういう選択肢に答えてもらいました。

──それは署名というより、意思表示を求めるアンケートですね(笑)。

東田:数を集めるだけの署名は嫌だったんですよ。約6300人が署名してくださって、それを北海道銀行に持っていくと「東田さん、この署名用紙、重たすぎます」って。総務部長が役員会で、「あの人たちは本気だから2年間待ってやってくれ」と説得してくれたと聞いています。新聞には「取り壊し反対」を声高に叫ぶ論調ではなく、「新オーナーを探しています」と書いてもらいました。すると、銀行OBたちから総務部長に激励の電話がたくさんかかってきたそうです。

 1年半経った時、藻岩山ロープウエイを運営する札幌市の第三セクター(札幌振興公社)が、レストランか喫茶店を建てるために資金を用意していることを知りました。その第三セクターがオーナーになってくれて、喫茶店が開けたら最高だと思ったんです。札幌市の景観のことで顔見知りだった市役所の係長に第三セクターの課長を紹介してもらって会いにいくと、課長は「来たな、東田。買ってほしいんだろ? 5000万円くらいならなんとかなるかもしれないけど」と。ほんとは1億円かかると思ったけど、「全然、大丈夫です!」と言って、交渉に入りました。

 移築先候補地は札幌市の所有地だったので、第三セクターの所有地と等価交換してもらい、交換した土地は市の公園になりました。工事代金は施工会社にも協力してもらい、内装はテナントに決まったろいず珈琲館(ロイズコーヒーユニオン)の負担でしたが、外構工事も加えて総額1億円以上かかりました。

──そうしてできたのがこの喫茶店、ろいず珈琲館旧小熊邸なんですね。

東田:はい。1997年に保存が決まり、札幌市長が異例の記者会見をしました。ろいず珈琲館との約束は20年でしたので、ちょうど今年(2017年)11月に閉店となって、今はまた新しいオーナーを探し始めています。