保存が終わりではない。活用をプロデュースする交渉力

──転機になった出来事は何でしょうか。

東田:保存が決まったら市民運動は終わりで、その後はオーナーが好きなようにやるのが普通です。でも私は再生活用を担いたいと申し出たんです。すると第三セクターの課長は「えー、市民運動つきの物件を買わされるの?」と(笑)。保存決定の翌日、旧小熊邸倶楽部という任意団体を作りました。これは移築に不可欠な復元図を描いたり、会計や掃除を行ったり、実際に汗を流す人の集まりです。

 改修工事は、移築復元の監修者である北海道大学大学院工学研究科の角幸博教授(現・名誉教授)の研究室で、角教授と、札幌市役所景観担当、第三セクター、ろいず珈琲館、内装業者、旧小熊邸倶楽部メンバーが協議しながら決めていきました。

昭和2年(1927年)に作られた旧小熊邸は、約90年前の造形美がある。それが研究者や技術者の手で復元されている
昭和2年(1927年)に作られた旧小熊邸は、約90年前の造形美がある。それが研究者や技術者の手で復元されている

──主張がかみ合わないことも多かったのでは?

東田:多かったですね。喧嘩になりそうでしたよ。でも大事なことは、文化的な価値を失わずに、喫茶店としての経営ができること。角教授には、席数確保や動線など営業のための改修の必要性を理解していただき、ろいず珈琲館には、改変してはいけない点を示して解体した古材を再利用するよう要望しました。社長は私に「東田は一銭も出さないくせにうるさい」って言っていましたが、そのうち「お前に全部任せた」って。私たちがマイナスになることはしないと、理解してくれたんだと思います。オーナーの第三セクターも「もう、好きにしていいよ」と。

 90年代半ばの当時は「協働」なんて言葉もない時代。でも理解のある行政の職員さんと、柔軟な考えの角教授に出会えて、私がその人たちをつなぐことができたのだと思います。

 改修工事では建物としてはもちろん、絵ガラスや照明器具、窓の化粧板を復元し、カップ一個までこだわりました。照明器具は昭和2年の古写真を拡大コピーして、古い金属に詳しい市立札幌高専(現・札幌市立大学)の石崎友紀先生に素材を分析していただき、研究費で賄いました。絵ガラスの絵柄は植物学者に植物を特定してもらって、イラストレーターとガラス工房とで復元しました。