あきらめなければ、次に進める

 選手時代、鈴木さんが心に残っているのは、バンクーバーオリンピックの最終選考会を兼ねた全日本選手権と、28歳で挑戦したソチオリンピック。

 オリンピックや世界選手権など、世界大会の代表権がかかった大事な大会である全日本選手権に、鈴木さんは苦手意識がありました。「この試合で代表が決まる。上手くやらなければ」と意気込んでしまい、なかなか結果を出せていなかったのです。

 しかし、バンクーバーオリンピックの代表を決める全日本選手権のときは、「やり残したことはない。後は自分を信じて演技するだけ」という気持ちで試合に臨みました。

 フリーの演技、ミスなく前半のジャンプを終えて前を向いた瞬間、つまづいて転倒してしまった鈴木さん。点差が拮抗した試合だったため、コーチは、このミスによるマイナス1点で代表を逃すことになるかもしれないと思ったそうですが、鈴木さんはこれで負けるとは思っていませんでした。落ち込むどころか、笑いながら立ち上がったのです。

 「あのとき、自分がダメだと思っていたら、ガタガタと崩れていたと思います。むしろ、転んだことで余分な力が抜けて、自分らしさを取り戻すことができました。あきらめずに、このまま演技を続けるんだという気持ちを持っていたから、転んでも次に進めたし、バンクーバーにつながったんだと思います」(鈴木さん)

転んでも次に進めた全日本選手権でのワンシーンを振り返る鈴木明子さん
転んでも次に進めた全日本選手権でのワンシーンを振り返る鈴木明子さん

立ちふさがった「年齢の壁」 さらなる挑戦

 24歳で初めてオリンピックの切符を手にした鈴木さん。10代で活躍する選手が多いフィギュアの世界では、24歳でのオリンピック出場は異例なことです。しかし鈴木さんは、28歳で次のソチオリンピックにも挑戦します。

 自分の体力、成長し続ける若い選手の脅威……鈴木さんの心は揺れていましたが、 「人間って、これでいいと思ったら停滞するだけ。私は最後まで成長し続けて終わりたいと思ったんです。だから怖がっていないで、オリンピックにチャレンジしようと思いました」

 コーチは、常にあと少し頑張ればできる目標を明確に提示してくれました。漠然とオリンピックを目指すのではなく、「この3カ月で何を達成するか」といった具合に、段階を追って目標を立てたことで、鈴木さんは、迷わず前に歩んでいくことができたのです。

 「今の仕事も、1年間の目標をきちんと立てるようにしています。迷ったときも、理想とする1年後のイメージに到達するためにどちらを選ぶべきか、考えるようにしています」(鈴木さん)

 人生は決断の連続。小さな決断でも日々繰り返していれば、最終的に大きな差が生まれます。自分がどうありたいのか、目標を具体的に考えて想像する。想像力の豊かな人が夢を叶えていくのだと鈴木さんはいいます。