東京ミッドタウン(東京・港区)で5月19日(土)~20日(日)に開催された「WOMAN EXPO TOKYO 2018」。2日目の20日にはニュースキャスターの安藤優子さんが「続けることは自分を育てること」をテーマにトークセッションを行いました。『日経WOMAN』の人気連載「妹たちへ」に2000年に登場した安藤さん。そこからさらに18年のキャリアを重ねた今、ご自身の歩んできた道を振り返りながら、女性が輝くためのヒントを熱く語ってくれました。

女を「封印」して働くしかなかった報道現場

 女子大生時代にテレビの報道番組でアルバイトを始めた安藤さんは、この業界一筋40年の大ベテランです。仕事を始めた頃のテレビ報道界はどんな世界だったのでしょうか。

「封建的で保守的で、40年前は女性であることを封印しないと居場所を確保できなかったんですよ」と話し始めた安藤さん。初の政治家インタビューのエピソードを振り返ります。「20歳のとき、インタビュー経験もないのにプロデューサーから『ほとんど取材に答えたことがない自民党幹事長にインタビューに行け』と命じられたんです。理由を尋ねたら『政治家はお姉ちゃんが好きだから』ですって。今なら、『週刊文春』に載りますよね」

 セクハラという旬な話題に絡めた驚きのエピソードが飛び出し、参加者はのっけから安藤さんの話術に引き込まれていきます。さらに安藤さんは衝撃的な言葉を続けます。

 「それでも仕事なので取材に行ったら、たまたま、その幹事長が答えてくれたんです。ところがプロデューサーに報告すると、褒められるどころか、『だから言っただろう。政治家はお姉ちゃんが好きなんだよ』と言われたんです。セクハラという言葉がまだない時代ですが、とても傷ついて、後ろから蹴りを入れようかと思いました」。冷静な安藤さんからは想像もつかない言葉が飛び出し、会場は笑いに包まれました。

 「そのとき、二度と『お姉ちゃんだから』と言われないようにしようと決意しました」と安藤さんは話します。でも、それはもろ刃の剣。それ以降は「女性を前面に出さない、女性であることを封印する」という働き方を選んだのです。災害や事件の現場など、どこにでも行ったという安藤さん。男性と同じくらいできると証明するためには、やりたくないときも泣きたいときも、NOと言わないで男性と同化せざるを得なかったのです。

 自分で選んだ道とはいえ、いつも気持ちを強く保てたわけではありません。「海外出張のときのことを思い出します。成田空港を離陸するとき、飛行機の車輪がふわっと浮く瞬間があるでしょう? それと同時にどわーっと涙が出ることがあって。東京にいればテニスをしたり友達とご飯を食べたり合コンしたりと楽しく過ごせるのに、どうして私はこんなことをしているんだろうと思っていました」

 いつも自信に満ちている安藤さんが見せる不安や心の迷い――参加者は「成功して輝いている人でも、自分と同じように悩んで、それを乗り越えてきたんだ」と励まされたようです。