仲良くできないのが普通である

 私がこのような発想を持つようになったのには、実は理由があります。私は幼い頃、教員だった父の転勤で、ほぼ3年ごとに転校を余儀なくされていました。だから子ども時代は、いつも異分子扱いを受けていました。たとえ同じ県内の転校でも、行く先々でそれぞれ方言も違います。転校するたびに「言葉がなまっている」と言われ、なかなかクラスの子たちと仲良くなれないことも多かった。転校早々、児童会選挙に立候補して当選などしようものなら、「今回は“よそ者”が児童会の役員になったらしい」と地域で噂されたりもしました。

 こうした中で私が父に教わったのは「人間はみんな違うんだから、もともと仲良くできないものだ」ということ。父は教員としてたくさんの子どもたちやその保護者たちを見てきているので、普通にしていたらみんなが仲良くできないものだということを体感しています。それをありのまま、私に教えてくれたわけです。

 私は、小学校に上がったら「友だち100人できるかな」と当たり前のように教える日本の教育には問題があると思っています。そもそも仲良くできないものだからこそ、仲良くしようとするなら何が大事か、仲良くするための芯は何かを考えながら社会の中に立とう。父の教育のおかげで、その姿勢が自然に身について今に至ります。