「負け美女」をはじめ、女友達にまつわる著書も多い犬山紙子さん。しかし意外なことに、20代半ばまでは、女友達が欲しいのに全然いない状況だったそう。そんな犬山さんに、「アラサー的・親友の心得」を聞きました。

*連載のバックナンバーはこちらから ⇒ 犬山紙子のあたまのなか

――犬山さんっていつも明るくて元気でサバっとしていて、同性からものすごい好かれるんだろうなって思うんです。それに引き換え友達が少ない自分は、犬山さんが羨ましくてまぶしくて……。

 サバっとなんか全くしてませんよ(笑)。それに、私も27~28歳くらいまでは女友達が欲しくて欲しくて仕方ないのに、なかなかできなかったんです。今となっては当時どうしてきちんと友情が築けなかったのか、原因はハッキリしています。それは、私の「邪念」のせいでして……。

邪念があったら、そりゃ友情なんか生まれない イラスト/犬山紙子
邪念があったら、そりゃ友情なんか生まれない イラスト/犬山紙子

 20代の頃の私は、女友達だけでなくすべてに飢えていたんです。仕事にも、男にも、自己顕示欲の発散の場にも飢えていて。それらがごっちゃになってしまい、純粋に友情を楽しんでいなかった。

 さらにそのとき、自分がどんなタイプの女性と合うのか分かっていなかったのもあって、「とにかく変わっている人なら好き!」って勘違いしていたんですよ。変わっている人にもいろんなタイプがいるのに、ひとまとめにして「好き」って、そんなわけがないのに、失礼な話です。

 だから、「あれ? この人とは全然合わないぞ?」と思っても「でもエキセントリックな人だから私はこの人を好きなはず」って無理して。無理してまで友達になりたいって、「この人と一緒にいたら自分もエキセントリックな人の一員になれるのでは」って期待が無意識にあったと思うんです。

 相手も、そんな邪念のある女、嫌ですよねえ。そりゃ友情なんか生まれませんよ。