面接に行ってみると、想像以上に小さな会社だったので驚いた。元新聞記者の社長以下、しっかりと雑誌づくりをしていることは伝わってきたものの、友人たちが就職していった大企業との落差を感じ、躊躇(ちゅうちょ)していた。

 そんな有里さんの背中を押したのは、意外にも、面接官だった社長のこんな厳しい一言だった。「きみはまだ『自分はいい大学を出たのに、こんな小さな会社じゃあね……』なんて思っているんだろう? こうなったのは自分の努力不足。諦めが悪いよ」

 「就職活動もせず留年もしていながら、変なプライドにとらわれて目の前の一歩すら踏み出せないでいる自分が見透かされた気がして、ハッとしました」

営業のはずが記者になる

 こうして、広告営業として入社した有里さんだったが、社長の「取材して記事も書けなくては営業もできない」という方針で、まずは記者職として記事を書くことになった。

 記者になりたい、書くことを仕事にしたい、といったことは考えたこともなかったという有里さんだったが、「人が知らないことを一番に知ることができるし、興味あるテーマについて、専門家に話を聞くことができたりして、やってみたら本当に面白かったんです」

希望した職種じゃないけど、やってみたら本当に面白かった (C) PIXTA
希望した職種じゃないけど、やってみたら本当に面白かった (C) PIXTA

 若手記者は少なかったので、社長をはじめとしたベテラン記者に取材のやり方から記事の書き方までしっかり教わることができたのも良かった。

 「記者職といっても、忙し過ぎるというわけでもなく、休日も休めるし、働きやすい環境でした」

 雑誌だけでなく、一般読者向けのウェブ媒体も立ち上がり、有里さんはさらにさまざまなジャンルの記事に関わることになって、仕事は充実していった。