「news every.」に出演中の日本テレビ解説委員の小西美穂さん。記者としての小西さんの実績を語る中で、ハイライトの一つといっていいのが「当時の日本では、一般的に知られていなかったサッカーの元イングランド代表、ベッカム選手に目を付け、海外遠征やプライベートまで長期取材を敢行した」というエピソード。まさにワールドカップで世界中が盛り上がった今年からちょうど16年前の2002年、日韓共同開催のワールドカップに沸いた日本では、瞬く間にベッカムブームが巻き起こった。その火付け役が、小西さんなのだ。

日韓共催W杯で日本にいる誰もがベッカムのことを知ったきっかけは、当時ロンドンにいた小西さんの取材リポートでした
日韓共催W杯で日本にいる誰もがベッカムのことを知ったきっかけは、当時ロンドンにいた小西さんの取材リポートでした

――現在は解説委員としてテレビに出演している小西さんが、実は「ベッカム番」の一人だったという事実は意外ですよね。これは、小西さんがロンドンに赴任中の出来事だったんですよね。

 そうなんです。私がロンドン特派員だったのは2001~2004年の3年間ですが、当時、マンチェスター・ユナイテッドのミッドフィルダーとして活躍し、イギリス国内では大人気だったベッカム選手のことを、日本ではまだサッカーファンしか知らなかったと思います。

 私もサッカーが好きだったわけではないので、彼のことは知りませんでした。ところがある日、情報収集のため目を通していた現地のタブロイド紙に、毎日のように紙面を飾るイケメンがいることに気付いたんです。

 情報を集めてみると、彼がプレミアリーグ3連覇を遂げた名門チームの中心選手であること、結婚したパートナーは歌手のヴィクトリアで、かわいらしい子どももいるといったことが分かりました。

 甘いマスクと、豊富な話題性に、「この人、日本でも人気が出るかも!」とピンときた私は、特集として作れるように素材を集めてみることに。週末を利用してサッカーの試合を見に行って映像を撮ったり、彼の生い立ちを知れる本を読んでエピソードを集めたりといった準備を始めました。

――さすが行動が早いですね。

 はい。実は、当時の私は「順番が回ってこない焦り」に駆られていたんです。目標だった海外特派員に選ばれたことは、天にも昇るような気持ちで本当にうれしく、意気込んでロンドンに旅立ちました。でも憧れが強かったからこそ、「思ったよりも活躍できない自分」に歯がゆさを感じることはあったんです。

 それは単純に「順番」の問題でした。海外特派員というのはエリアごとに局系列の報道記者が割り当てられるんですね。例えば、日本テレビ系列では、ヨーロッパ・中東エリアにロンドン、パリ、モスクワ、カイロという4つの支局があり、当時は、計7人の特派員を派遣していました。私はロンドンに派遣された二人のうちの一人でしたが、同時期に赴任したもう一人は日本テレビで記者として活躍した優秀かつベテランの支局長。本社のデスクは、重要なニュースの取材は、支局長や取材経験の多い特派員から先に指名していきます。

 私はヨーロッパをカバーする特派員の中でも32歳と一番年若で、特派員1年生。当然、呼ばれる順番は最後で、重要な国際ニュースをリポートするような役回りはなかなか巡ってきません。

 「小西さん、ぜひ行ってください!」「この仕事は、小西さんでないとダメなんです」――そう言ってもらえる役割が見つからない。だったら、自分で見つけないと……。そうした焦りが、ベッカム選手に注目するという行動に向かわせたんです。