夕方放送の「news every.」に出演中の日本テレビ解説委員兼キャスターの小西美穂さんは、関西弁を交えて語る柔らかな人当たりと、ツボを押さえた信頼感のあるコメント力で、初対面でも信頼関係をつくってしまうコミュニケーションの名手。記者として泥臭い経験もしながらキャリアを積み、今でも改善点をチェックするノートを書いているという超マジメな仕事人でもある。

 そんな小西さんが「私の原点」と振り返るのが、学生時代のラクロス経験。当時は日本に上陸したばかりで無名のスポーツだったラクロスを関西の大学に普及するため、たった一人の活動から体当たりで粘り強い運動を続け、見事にそのカルチャーを根付かせた。その功績から、小西さんは今や「ラクロス界のレジェンド」と呼ばれるほどに。「ゼロから生み出し、仲間を巻き込む」小西流の奥義とは?

キャスターの小西美穂さんは、実は「ラクロス界のレジェンド」です
キャスターの小西美穂さんは、実は「ラクロス界のレジェンド」です

華やかな女子大生が多い中、物足りなさを感じて…

――今では知名度のあるスポーツであるラクロスですが、小西さんが始めた当時はほとんど知られていなかったとか。そもそもラクロスに興味を持ったきっかけは?

 高校時代は軟式テニス部でキャプテンをやっていた私は、大学に入ってからも何か打ち込めるスポーツを始めたいなと思っていました。入学した関西学院大学(以下、関学)では、複数の体育会を見学に行きましたがピンと来ず、結局、オシャレな空気漂う硬式テニスサークルに入部。でも、既に出来上がった組織で、私がいてもいなくても変わりのない環境に、どこか物足りなさを感じていたんです。

 当時はバブルの余韻もあって、華やかでキャピッとしたキャンパスライフを謳歌する女子大生もいましたが、私はちょっとなじめませんでした。せっかくやるなら、自分だけができる役割を果たしたかったのでしょうね。私、昔から濃密な時間を求めるタイプだったのかも(笑)。たしかテレビで見たアイスホッケーチームにも連絡をしたのですが、部員募集のタイミングと合わずに断念。テニスの他に打ち込めるものをと、大学1年の秋から通訳養成専門学校に週2回通い始めました。

 ラクロスという新しいスポーツが日本に上陸したと知ったのは、大学2年の5月ごろ。同級生の男の子が、棒の先に網が付いた競技具を持って授業に現れたので、「それ、何なん?」と話し掛け、東京の大学で徐々にラクロス競技がはやり始めているらしいということを知りました。彼は関学に男子ラクロス部を作ろうとしていたのです。その見慣れない競技具は「クロス」という名前だとも教えてもらいました。