ゴジラの怒りと悲しみ

 世界を牛耳るアメリカは、いわば「動」の国です。行動し、攻撃し、破壊することで世界を変えてきました。果たしてそれがゴジラとの共存方法として正しい選択なのかどうか。対する日本は、本来「静」の国です。「静」は「動」とはまったく異なる発想をします。動かず、攻撃せず、破壊せず。しかし、物事を解決しようとします。そうして数千年もの間、この国はうまくやってきたのです。一度大きな失敗をしましたが、それは西洋流の「動」を真似てしまったからです。もっとも「静」によって物事を解決するのは簡単ではありません。いったい私たちには何ができるのか……。

みんな、逃げてー! (C)2016 TOHO CO.,LTD.
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 先ほどゴジラは神に似ているといいました。奇しくも日本は神の国です。決してナショナリズムの文脈でいっているわけではありません。古くから自然崇拝のようなアニミズムに支配され、それが『古事記』や『日本書紀』という神話を起源とする国づくりにつながり、以降様々な宗教や外来思想と共存しつつ、今なお神が神道という名で国家を支える精神的バックボーンになっているという意味です。

 宗教としての神道には無関係だという人も、正月には神社に初詣に行き、家に神棚を備え、毎日「いただきます」と手を合わせて食事しているのではないでしょうか。つまり、神は私たちの日常生活に習俗として入り込んでいるのです。

 そんな神も時に怒りを見せます。荒ぶる神となるのです。そのたび人々は神の怒りを鎮めるための行事を行ってきました。もちろんそれは神を攻撃するものでも、追い払うものでもありません。あくまで怒りを鎮めるためのものです。なぜなら、私たちは八百万の神とも呼ばれるいくつもの神々と共存していかざるを得ないのですから。

 たしかに神の前に私たち人間は無力です。荒ぶる神はその怒りを無慈悲にふりかざし、災害という形で私たちを翻弄することもあります。そのたび私たちの生活は破壊され、またゼロからやり直すことになるのです。でも、それを機に私たちは自分自身の間違いや過ち、うぬぼれに気付きます。

 どうしようもない破滅の中でさえも、私たちの周りには微かな希望の光が射しているのです。だから日本人は再び立ち直ることができるのではないでしょうか。破壊から立ち直る過程で、私たちはまた強くなります。そうして日本はスクラップアンドビルドを繰り返しながら、これまでやってきたのです。

 おそらくシン・ゴジラが私たちに突き付けたデジャブは、また将来のデジャブとなることでしょう。でも、微かな希望がある限り、この国はきっと大丈夫です。映画「シン・ゴジラ」がそれを教えてくれています。そういえば、エンドロールでゴジラシリーズの代名詞ともいうべきあのテーマソングも流れていました。おそらくは、この国に起こったすべての悲しみへのレクイエムとして……。

シン・ゴジラ
「現代日本に初めてゴジラが現れた時、日本人はどう立ち向かうのか?」というテーマのもと、リアリティを限界まで追求した、まるでドキュメンタリーのような迫真のストーリー。第1作『ゴジラ』(1954年)が公開されてから約60年、国内シリーズ12年ぶりとなる最新作。

脚本・総監督:庵野秀明
監督・特技監督:樋口真嗣
出演:長谷川博己 竹野内豊 石原さとみ
製作・配給:東宝株式会社
(C)2016 TOHO CO.,LTD.
全国東宝系にて公開中
公式サイト:http://www.shin-godzilla.jp/

文/小川仁志