人間の欲求は、いつまでも満たされることがない

 エルサは何年も悩み続けた挙句、結局あきらめて一人で生きることを決心したわけですが、そのときやっと苦悩から解放されました。それがあの“Let it go”という叫びなのです。これはあきらめの言葉ではあるけれども、同時に苦悩から解放されたある種の肯定的なメッセージを含んでいます。

 そこで思い出すのがドイツの哲学者ショーペンハウアーによる意志の否定です。ショーペンハウアーは、『意志と表象としての哲学』(なんだか「アナと雪の女王」にリズムが似ていると思いませんか?)の中で、苦悩から解放されるための方法について論じています。

アルトゥル・ショーペンハウアー(1788-1860)。ドイツの哲学者。知性よりも意志が重要であると説く。仏教の影響も受けている。著書に『意志と表象としての世界』、『視覚と色彩について』等がある。

 彼のいう意志は、理性的な意志ではなく、むしろ理性とは無関係の身体活動として現われる「生への意志」を意味しています。その生への意志が世界を作り上げているというのです。これが意志と表象としての世界です。もしかしたらエルサの作り上げた氷の世界も、コントロールできない意志によるものなのかもしれません。

 ただ、ショーペンハウアーによると、そうした生への意志は、根拠も目的もない盲目的な意志であるため、人間にとっては際限ないものとなります。だから人間の欲求というものはいつまでも満たされることがなく、生は苦痛に満ちたものとなるのです。エルサの苦悩もきっと同じなのでしょう。

 その苦痛から逃れるための方法として、ショーペンハウアーはまずイデアと芸術について述べます。イデアとは理想の世界のことです。つまり、芸術の世界では、人は知性や理屈を越えて、このイデアを直観できるといいます。

 特に音楽は、意志そのものを模写するので、芸術の最高形態であるとされます。このように芸術は、人間からややこしい理屈を取り除き、人間を意志の欲望のすべての苦痛から解放した解脱の立場へと高めるのです。エルサやアナが苦しみの中で歌を歌っていたシーンを思い出しますね。