「哲学」ってむずかしいことだと思っていませんか? 「哲学」とは、「ものごとの正体を知ること」。哲学者の小川仁志さんが、身近なことを題材に分かりやすく哲学の視点から読み解きます。今回はジブリ作品「天空の城ラピュタ」。パズーって、理想の男性像だと思う。

欲望の象徴だった「ラピュタ」

 宮崎駿監督のジブリアニメの中でも、「天空の城ラピュタ」をベストワンに挙げる人が結構います。確かに1986年の劇場公開以来、この作品は毎年のようにテレビでも放映されていますね。

 その理由は、一度でもこの作品を観たことがある人にはすぐ分かると思います。誰が見ても惹きつけられる冒険とロマン、ジブリアニメ特有の幻想的な世界観、そしてディズニーランドのアトラクションを彷彿させる疾走感。

 しかし、なんといっても最大の人気の要因は、空を飛ぶ謎の城という魅惑的な設定にあるといえます。この作品ではそもそも空が舞台になっており、人類はあたかも翼を得た鳥のごとく、自在に空を飛び回ります。作品中の景色の半分くらいが空から見たシーンなのです。

 そして極めつけは、空に浮かぶとされる天空の城ラピュタです。国が空に浮いているという設定自体わくわくさせられるうえに、謎の存在だというのですから、気にならないわけがありません。

 作品の登場人物たちは皆、そんなラピュタを探そうと奔走します。主人公の少年パズーはラピュタを見たという父親の無念を晴らすために。ヒロインのシータは自らのルーツを探るために。空中海賊の一家は財宝を求め、軍隊は権力のために。そして悪役のムスカ大佐はラピュタの王になるという自らの野望のために。

 ここから分かるのは、ラピュタが彼らにとって欲望の象徴であるという点です。

 それはラピュタに住んでいた人たちが、かつての支配者であり、特権階級のように描かれていることからも分かると思います。でも、それ以上に、空を自在に浮かぶというのは、それ自体が人間にとって夢の実現でもあるのです。奇しくも空を浮かぶシータを見て、海賊一家の長ドーラが「ほしいー!」と叫んだように。

 実は私も、昔からよく空を飛ぶ夢を見ます。しかもみんなが飛べるのではなく、自分だけが特殊能力を持っているのです。その痛快さといったら、たとえようがないほどです。おそらくこれは、オンリーワンの人材として社会で活躍したいと願う私の欲望の表れなのでしょう。だから欲望に振り回されるという感覚はよく分かります。

 そこで思い出すのが、フランスの現代思想家ジル・ドゥルーズらが唱えた欲望機械という概念です。この場合の機械とは、人間の意志によって人間の行いを実現する道具といったような意味で使われています。もっとも、人間が道具を使うというのではありません。むしろ道具が人間をコントロールするというイメージです。したがって、機械が自律的な運動体となって、勝手に人間の意志を実現していくわけです。

ジル・ドゥルーズ(1925-1995)。フランスの現代思想家。ポスト構造主義に分類。精神分析家フェリックス・ガタリとの共著が多い。著書に『差異と反復』、『アンチ・オイディプス』等がある。

 欲望機械の場合、欲望があらかじめあって、それを実現するための機械が登場するというのではなく、欲望が自らを実現する機械のようになるということです。そうして人間は、主導権を握る欲望機械によって変貌させられていくのです。