写真家ヨシダナギが女性として感じること

――どんなふうに周囲の人への愛情表現が変わりましたか。

 私は人と接するのが苦手なので、そもそもそんなに周りに人がいないんですが。でも、人と会っている時に、「こうやって会ってるってことは、私あなたのこと好きなのよ」ということを自分なりに遠回しに匂わせたり。好きじゃなかったらそもそもご飯に一緒に行かないですし。

 正面からは言えなくても、そんなふうにすることで、「あ、この子あまり好きって言わないけど、私とご飯を食べに行ってるってことは、嫌いじゃないんだ。じゃ、誘っていいんだ」って誘ってもらえるようになって。それで私もそれに乗るようになって。前は、誘っちゃいけない人なんじゃないかと思われていたみたいです。

――女性だからこそ、少数民族のコミュニティーに入り込めるということはありますか。

 女性だから警戒されにくいということはあります。例えば、同じように写真を撮影するために少数民族の村に行くのでも、いかつい白人男性が機材をぶら下げて集落に入って行くより、カメラマンには見えない女の私が入って行ったほうが、「なんだあいつ」って思うぐらいで戦闘的な姿勢にならない。私が行くと「どこの迷子が来たんだろう」というような雰囲気になって、みんなが怖がらないかな。

 私は作品がカラフルなものが多くて、昔は洋服も全部原色だったんですけど、色とか素材の組み合わせがしにくくなってしまって。悩んでいた時、デザイナーさんに「あなたは身長が高いんだから、黒の衣装、ヨウジヤマモトとか着ると映えるんじゃない? 太っても年を重ねてもカッコよく着れるよ」ってアドバイスを受けて。着てみたら、私の中の「強い女性」像に結構はまったというか、着ていて落ち着く。黒だから、旅行中も汚れがそんなに目立たないし、アフリカでは異色なんですよ、黒って。なんでこの暑い大地でこいつ黒着てんだ、みたいな。それで目立つ。そういう目立ち方は悪くなくて、みんなが不思議がるので、「見落とされない」。注意を引くので、話し掛けてもらえたり、みんなが常に見てくれるので悪い人に狙われない。「ああ、またあの黒い子が通ったよ」って注目してくれて、何かあったとき、周りの人が私にたどり着きやすくなるんです。

 それに、集落の男性はやっぱり下心はあるんですよ。だから、基本的に男性から無条件で優しくしてもらえる。女性だからこその危険な面もあって、ガイドにしてもモデルになってもらう現地の男性にしても距離の置き方の難しさはありますが、自分の中で線引きしつつ、女性としての強みを使える部分があるならそこは使っていったほうがいいなと。

――女性であることを武器にして仕事をしている。

 そう。ただし、武器にしたら必ずリスクもあります。メリットもありますが、反面リスクも負う。ただ、リスクを負うのは男性が悪いからだというのは、私は違うと思う。

 私はもし女性であることで何か被害に遭ったら、自己責任だと思っています。被害に遭うような場所に行くと決断したのは自分ですし、やりたいことをやった上でのリスクなので、起きたことに対する責任は自分で負うしかない、他人を責めてもしょうがないなと。ただし、悔いが残るので、自分の行動にどんなリスクがあるかについては、とてもよく考えます。

 例えば、仕事をオファーされても、行きたくない所には行きません。そこで自分が死んだとき、自分自身でその悔やみを消化できないから。私が苦手なエリアもあるんです。これまでの経験から自分では回避できない嫌なことが起こり過ぎる場所がある。だから、そうした場所には行きません。

――取材する中で、女性だから聞き出せることはありますか。

 そうですね。女性だから取材できない部分ももちろんありますが、女だから聞き出せる部分もあります。例えば、アフリカにある一夫多妻制について、女性は男性には本音を言えない。でも、私が「自分だったら男性をシェアするのは嫉妬しちゃうから嫌だな」と言うと「私たちだって本当はそうだよ」って本音を漏らしてくれたり。「一晩でどのぐらいするの?」と聞いたら、照れ臭そうに話してくれたりとか。女同士だからこそできる、「女の子の話」を聞きやすいですね。

近年は、アフリカだけではなく世界各地に足を延ばしているヨシダさん。写真は南米アマゾンの少数民族、エナウェネ・ナウエ族を写した作品 (C) nagi yoshida
近年は、アフリカだけではなく世界各地に足を延ばしているヨシダさん。写真は南米アマゾンの少数民族、エナウェネ・ナウエ族を写した作品 (C) nagi yoshida

真面目過ぎて苦しむのはもったいない

――仕事をするということについて、どのように考えていますか。

 私はいろいろな人から好きなことを仕事にするということに関してよく相談を受けるんですけど、話を聞いていて思うのが、みんなすごく真面目で、ちゃんと展望がある。高校生とか大学生の相談メールを読んでいると、将来これになりたいという希望がしっかりある。でも、それに向かって進んできて、くじけてしまっている。「もう無理、目指してきたところにたどり着けない、どうしたらいいんでしょう」って、多くの子が人生が終わったかのようなことになっちゃっている。彼らの話を聞いていると、なんとなく分かる反面、もっとみんな楽になればいいのにって思います。真面目過ぎて苦しんでいる。私なんてのらりくらり30年生きてきてしまったので。

 私は、「アフリカの少数民族になりたい」という以外の夢を抱いたことがありません。それで、やりたくないことはしないけど、嫌いじゃない、やれるかな、と思ったことにはこれまで全部飛び乗ってきました。

 だから、みんな「これしかやりたくない」じゃなくて、自分がやりたくないことだけを決めて、それを回避する道を進んでいけば、もっといろんなチャンスがあるのになって思います。例えば、私がOLの道を選んでいたら人付き合いをしなきゃいけないし、苦しいことが多かったでしょう。一方で、フォトグラファーという選択肢なら、カメラは好きではなくても嫌いというわけじゃなくて、シャッターというボタンを押すだけでいい。じゃあ、できるかな、と。そのぐらいの認識でやってきました。

 もっとみんな肩肘張らずに生きていけたら、こうしなきゃいけないというビジョンをつくらなきゃいいのになと、思います。それで、進んだ道がダメだったときも、どう方向転換していくかをもっと気軽に考えればいいのにって。日本人は、「こうしなきゃいけない」という思い込みが強くなりがちだと思う。

 みんな「夢を持たなきゃいけない」って言われていて。私のように現実的な夢がなくて、将来の展望がない人はどうしたらいいんですか。私、アフリカ人になりたいという夢はあったけど現実的な夢はなくて、親に「夢はない」と話した時、「助かるわー、お金かかんなくって」って返されたんです。それで、自分に夢がないのは親としては経済的に助かるんだ。お金かかんなくてよかったんだと思った。なんで、親はそう言ってあげられないんだろうって思います。夢がなきゃいけないなんて誰が決めたんだろうって。

――最後に、「女性に生まれて、よかった」ですか。

 よかったです。もしも男性に生まれていたら、このような生き方はできていなかったと思います。だから、女性で生まれてきたことに感謝していますし、楽しんでいければとも思います。

ヨシダ ナギ
1986年生まれ、フォトグラファー。独学で写真を学び2009年単身アフリカへ渡航、少数民族の撮影を開始。唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され、2017年には「日経ビジネス」誌で「次代を創る100人」、「Pen」誌の「Pen クリエイター・アワード 2017」に選出される。同年、著書「ヨシダ、裸でアフリカをゆく」(扶桑社)、「SURI COLLECTION」(いろは出版)が講談社出版文化賞・写真賞を受賞。3月15日には自身の仕事術・人生論をまとめた「ヨシダナギの拾われる力」(CCCメディアハウス)、4月25日にはBEST作品集「HEROES」(ライツ社)を上梓予定。ホームページはhttp://nagi-yoshida.com/

聞き手・文/大塚千春