平昌五輪で初のメダルを獲得となった女子カーリング。選手たちの出身地・北海道北見市常呂町は、「日本カーリングの源流」となる人たちがいる地域でした。しかし、同時に「カーリングで世界を目指すためにはここに留まっていてはいけない」と思わせる場所でもありました。そんな状況から、メダル獲得にまで至った軌跡とは――。人気スポーツブログ「フモフモコラム」のフモフモ編集長に解説してもらいます。

日本カーリングの源流・常呂町

初のメダル獲得となった女子カーリングチーム 写真/JMPA代表撮影(榎本麻美)

 日本カーリング初となる銅メダル獲得に沸いた平昌五輪。2006年トリノ大会でのチーム青森の爽やかな戦いぶりを契機に、五輪における注目競技としてステップアップをしてきた女子カーリングが、ついに大きな成果を上げた記念すべき大会となりました。

 この初のメダル獲得がロコ・ソラーレ(LS北見)の選手たちによって成し遂げられたことは、単に日本がメダルを取ったこと以上に大きな価値がある出来事でした。

 北海道北見市常呂町、かつての北海道常呂郡常呂町はカーリングの町として知られています。カーリングが冬季五輪の正式種目となった1998年の長野五輪以降、すべての大会にこの「常呂町」出身の選手が出場を果たしてきました。その礎となったのは1988年に開設された国内初の屋内型カーリング専用施設「常呂町カーリングホール」の存在です(※2013年に国際基準を満たした新設のホールを隣接地に新築し移転)。

 カーリングとは何かを日本人のほとんどが知らない頃から、このスポーツを愛し、楽しむ人たちが、常呂町にはいました。今から30年も前にカーリング場を建て、「日本カーリングの源流」となるような人たちが常呂町にはいたのです。

 しかし、カーリングの源流は途中で行き止まりになっていました。

過去にソチ五輪の出場を逃したものの、今回大活躍をした藤沢五月さん 写真/JMPA代表撮影(能登直)