日本スピードスケート協会の戦略と、菜那選手の関係

整然とした隊列も話題になった、日本のパシュート 写真/JMPA代表撮影(榎本麻美)
整然とした隊列も話題になった、日本のパシュート 写真/JMPA代表撮影(榎本麻美)

 ソチ大会での日本のチームパシュートのメンバーは1500メートルの選手を優先して構成されており、直前のワールドカップでも2位に入るなど、メダル候補の一角と言えるチカラがありました。ソチ大会前のワールドカップで表彰台に上がった日本女子種目は、小平奈緒選手の500メートル3位とチームパシュートの2位だけ。つまり、最もメダル獲得を期待できるのがチームパシュートだったのです。

 ソチ大会の国内選考会で、高木菜那選手は1500メートルの4位となります。それ以外の種目では出場枠内の順位には入ることができませんでした。しかし、菜那選手はチームパシュートのレギュラーメンバーであり、ワールドカップ2位表彰台のメンバーでもありました。そこで選考では「チームパシュートに菜那選手を出場させるために、1500メートルの選手を最大の4枠選び、500・1000メートルの1枠を余らせる」という形で10名の最大数に収めたのです。

 この決断が、今回の金メダルにつながったのではないでしょうか。

「高木美帆の姉」という重荷から脱した転機

 自身も選手でありながら、「高木美帆の姉」として扱われてきた菜那選手。そう扱われるようになったきっかけは、2010年のバンクーバー五輪でした。菜那選手が落選し、美帆選手が代表に選ばれた当時の悔しさを「(美帆が)転べばいいのにと思った」と語っています。しかし、平昌五輪女子マススタートでの金メダル獲得後には「美帆だけじゃなくて、菜那もいるんだぞ」と胸を張りました。

 その「高木美帆の姉」という重荷から脱する一つの転機となったのが、前回ソチ大会でのメンバー入りだったはずです。この大会で美帆選手は代表入りを逃し、菜那選手だけが代表入りを果たしました。菜那選手が一歩前に出て、抜き返したのです。

 代表入りを逃した美帆選手は、五輪にかける菜那選手の強い意欲に感化され、そこから競技への取り組み方が変わったといいます。これは単に落選したというだけでなく、自分が落ちて姉が受かったという、まさに光と影のような対比があって目覚めた闘争心だったことでしょう。菜那選手だけが代表入りを果たした国内選考会での1500メートルの順位は、菜那選手が4位で、美帆選手は5位。その差はわずか0.26秒でした。

 わずか「0.26秒」菜那選手が前に出たことで、菜那選手は姉として選手としての誇りを奪還し、美帆選手は眠っていた素質を開花させるキッカケを得た。これは、「菜那選手を出場させるために、1500メートルの選手を最大の4枠選び、500・1000メートルの1枠を余らせる」というパシュートを優先するための戦略があったからこそ。つまり、日本がチームパシュートにチカラを入れていなければ、高木姉妹の飛躍による大きな実りはなかったことでしょう。

 だからこそ平昌五輪では、高木姉妹が中心となって世界最高記録を連発し、金メダル獲得を成し遂げたチームパシュート史上最強のチームが生まれたのです。

最高の笑顔を見せた史上最強のチーム 写真/JMPA代表撮影(榎本麻美)
最高の笑顔を見せた史上最強のチーム 写真/JMPA代表撮影(榎本麻美)