人を感動させたくて“嘘くさい歌詞”に

 その後は、ボーカルレッスンに通いながらレッスン費用を稼ぐために、家具店や洋服店での販売員、空調設備を作る工場のライン作業員など、数々の仕事をこなした。自ら詞と曲を作り、25歳のとき、ギターの弾き語りでライブ活動を開始する。当時は本名の「中村絵美」という名前で活動しており、歌はバラードが中心だった。

 「この頃は、“人を感動させたい”と思いながら歌詞を書いていたので、今思えば、嘘くさい言葉ばかり並べていました」

 固定ファンもつき、注目してくれる音楽関係者も現れるようになった。しかし、当時付き合い始めたばかりの男性の言葉に、打ちのめされることになる。

 「“おまえの歌は気持ち悪い”と言われたんです。彼はヒップホップの音楽をやっている人だったのですが、世の中に対して本気で思うメッセージを率直な言葉で伝えている。こんなふうに歌える人がいるんだ、と衝撃を受けて好きになったのですが、その彼に言われた言葉だったから、すごくショックでした」

 彼の言葉に、思い当たるところがあった。

 「中学時代に友達に仲間外れにされたことをきっかけに、絶えず人に気を使って生きるようになっていたんです。中学の頃までの私はすごく自己中心的な人間だったので、それがまずかったんだと思って。周囲に嫌われないように、嫌われないようにと、心の中で思っていることを口にせず、誰に対しても当たり障りのないことしか言わない人になっていったんです」

 仕事の上でも、そのスタンスが原因で壁にぶつかっていた。

 「このときは音楽スタジオで受付の仕事をしていたのですが、後輩の女の子が身内を亡くすという出来事があって。私はどうしていいか分からず、ただ一緒に悲しんであげることしかできなかった。でも、職場の男の先輩は、彼女に“こんなときだからこそ、こうしたほうがいい”という力強いアドバイスをしていて、その言葉が結果的に彼女の支えになっていた。“当たり障りのない態度しか取れない私は、彼女のために何もできなかった”と思ったんです」

 音楽スタジオの仕事で出会う人たちは、はっきりと自分の思いを主張する人ばかり。彼らからは、時に厳しい言葉が飛んできた。

 「『そんなふうにみんなにいい顔して、本音も言わない。そんな生き方で、本気で音楽やろうと思ってるの?』と言われて、ハッとしました。私、このままではいけないと気づき始めたんです」

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文/藤川明日香(日経WOMAN編集部) 写真/洞澤佐智子

こちらの記事は日経WOMAN6月号「旬な人」のNakamuraEmiさんのインタビューを大幅に加筆したもので、
全2回シリーズで公開します。続きは明日6月14日公開です。