平凡な43歳独身OLの人生が、英会話学校のアメリカ人教師との出会いから大きく変わっていく――。誰もが思わず身につまされそうな物語が描かれる映画「オー・ルーシー!」が公開中だ。「ブラックホーク・ダウン」などへの主演で知られる米俳優ジョシュ・ハートネット、寺島しのぶ、役所広司、南果歩、忽那汐里と出演者には名だたる俳優がずらりと並ぶ作品だが、メガホンを取ったのは、なんと同作が初の長編監督作となる平柳敦子さん。平柳さんに初監督作に至るまでの人生の道のりを伺った。

平柳敦子(ひらやなぎ・あつこ)
映画監督。長野県生まれ、千葉県育ち。高校2年生の時に渡米。ロサンゼルスの高校を卒業後、サンフランシスコ州立大学にて演劇の学位を取得。2009年シンガポールのキャセイ財団の奨学金を受け、ニューヨーク大学大学院映画学科シンガポール校に入学。13年、映画制作の修士号を習得。同大学院2年目に制作した短編映画「もう一回」(12年)が、ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2012グランプリ、ジャパン部門優秀賞、ジャパン部門オーディエンスアワードをはじめ高く評価されたのに続き、桃井かおりを主演に迎えた修了作品の短編「Oh Lucy!」(14年)もカンヌ国際映画祭シネフォンダシオン(学生映画部門)第2位、トロント国際映画祭などをはじめ各国で35を超える賞を受賞。「Oh Lucy!」の長編バージョンである「オー・ルーシー!」(17年)は、脚本の段階でサンダンス・インスティチュート/NHK賞を受賞し、同賞のサポートを受けて制作された。第70回カンヌ国際映画祭・批評家週間部門に正式出品。プライベートでは2児の母で極真空手黒帯初段の保持者。

※「平柳」の柳は「木へん」に「夘」が正式表記


最初目指していたのは「俳優」

――最初は、俳優として活動されていたそうですね。

 そうです。俳優になろうと思った一番のきっかけは、子どもの頃に見たジャッキー・チェン(香港出身のアクションスター。監督・制作・脚本も手掛ける)の映画です。8歳くらいの時でしょうか。ジャッキーの映画を見て世界観が変わったんです。彼の映画を見ると、すごく落ち込んでいたとしても、目の前に限りない可能性が広がっているように思え楽観的になれました。なぜ、映画を見ただけでこんなに気分や世界観が変わるのだろうと、映画が持つパワーに圧倒されました。

 だから、もともとは俳優というより「彼」になりたかったんです。小学校の卒業文集に「10年後の私」などという作文を書くじゃないですか。私は確か、ジャッキー・チェンのように、主演、監督、プロデュースとすべてをこなせるアクション俳優になりたいといったようなことを書いた記憶があります。

 でも、映画のように「物語をつむぐこと」は小さい頃から好きだったんです。両親が共働きで鍵っ子だったので、一人でいる時間が多く、空想を巡らせながら物語の世界に入っていって、漫画を描いたり、クラス劇の台本を書いたりしていました。台本を書いている時は自分も演じるつもりなんですが、エレクトーンを使って効果音を挿入するなど全体に関わり作品を作り上げていくほうが楽しくて、結局、主な役は「○○ちゃんやって」などと、他の子にお願いしていましたね。みんなと一緒に一つの劇を作り上げていくのが面白くて、あっと言う間に時間が過ぎていったものです。

――俳優の勉強は、日本ではなくアメリカだったんですね。

 最初のきっかけがジャッキーだったということもあるのでしょうか、日本で俳優を目指したいとはなぜか思いませんでした。その頃はまだ、ハリウッドを拠点に活躍をしている日本人俳優がいなかったので、それなら「自分がなってやるんだ」「私が世界を変えてやるんだ」というくらいの勢いでした。若気の至りですね(笑)。それはある意味エゴで、今思うと、そもそも本当に演技が好きで俳優をやりたかったわけではなかったのだと思います。

 ハリウッドで活躍することを目指していたので、まずは英語を学ぶため、高校を休学してロサンゼルスの高校に行きました。そして、大学はアメリカに留学すると決めていたので、そのまま日本の高校は退学して、現地校を卒業。サンフランシスコ州立大学で演劇を学びました。

 それからが大変でした。