アキン この映画は、今、世界で起きていることに対する私のリアクションです。私が水で、誰かがその水の中に石を投げ込み、水面が乱れた。その乱れた水の波が本作だと思います。エネルギーがあり、恐怖心もあります。恐怖もエネルギーの一種だと言えますよね。毎日、新聞を読み、時事問題を把握しようとする一人の人間として観察するうちに、ネガティブなエネルギーも取り込んでしまいます。ネガティブなエネルギーを自分から取り除く手段として、私は映画を作ります。今回、本作のPRで日本にやって来て、人種問題についてお話しするうちに、日本も似たような状況にあると知りました。増田さんたちも私たちと近いところにいるんだ、という親近感を感じることができます。例えば、ドイツの問題をドメスティックな問題ではなく、日本の増田さんと話し合うことによって、お互いに情報を共有して解決策を模索することができると感じています。

善悪ではなく、一人の女性がくだした選択を描いた

増田 映画の中の裁判のシーンを見ていて、日本でも被害者側がつらい思いをすることはあるんだろうなと思いました。被害者が納得いかない状況で裁判が結審するということはあると思います。そんな思いをした本作の主人公カティヤの復讐(ふくしゅう)の仕方についてですが、私がフランスのパリ同時多発テロで奥様を亡くされた方にインタビューした時、彼は「絶対に何もしない。相手に対して憎しみを持たない」と話していました。一方、本作では彼とは対極にある方法が描かれています。カティヤの選択を最後までハラハラしながら見ていたのですが、この方法しかなかったのか、監督の思いをお聞きしたいです。

アキン カティヤには、他のオプションも与えられています。上告することもできました。そして、彼女に生理が来るシーンがありますが、それはまた子どもを産める、また家庭を持つことができることを表しています。本作は善悪を描いているのではなく、カティヤという一人の女性を描いており、彼女の下す選択を描いています。あくまで映画であり、現実世界で復讐が行われないために、復讐譚というものが必要だと思います。

増田 映画の中でテロリストがギリシャとつながっていますが、これは現実にあることなのでしょうか?

アキン 実際のNSU(国家社会主義地下組織。ドイツの極右テロ組織)事件の公判記録をすべて読んで、リサーチするうちにギリシャ系のネオナチについて知りました。ネオナチにはネットワークがあり、それは世界規模のネットワークです。EUの一番端にあるギリシャは民主主義の終焉(しゅうえん)という意味で、映画の物語的な象徴としてギリシャを登場させました。