新著『揺れる移民大国フランス 難民政策と欧州の未来』(ポプラ社)では、命からがら逃げてきた難民の少年たちや、移民でありながらフランス社会で活躍している人たちに取材を重ねている増田ユリヤさん。これまでにも世界各国で数多くの人々に会ってきましたが、初めから相手に心を開いてもらえるわけではなく、「取材から帰るたびにホテルの部屋で悔し泣きをしていた」こともあったといいます。それでも増田さんが取材を“ライフワーク”として、やめない理由とは?


“私なりの正義”を求めて

 増田ユリヤさんは高校で世界史や現代史を教えながら、NHKのリポーターも務めていたという異色の経歴の持ち主。現在はジャーナリスト、テレビのコメンテーターとしても活躍している。

 ただ、過去にテレビに出演した際には番組の制作上、自分が思っている意見を伝えられず、後味の悪さや悔しさを味わったこともあるという。

 「それでも取材という仕事はやめたくありませんでした。物事やニュースを自分の目で見て確かめたい、という気持ちが強いんですね。テレビで発言できないなら文章にしよう、と思ったことが本を書くきっかけになりました。青臭いと思われるかもしれませんが、自分の目で見て真実を伝えるという“私なりの正義”を貫きたかったんです

 著書の『教育立国フィンランド流教師の育て方』(岩波書店)ではフィンランドの教育関係者、『揺れる移民大国フランス 難民政策と欧州の未来』(ポプラ社)では10年間にわたりフランスの移民や難民の人々に取材を試みたが、苦労の連続だった。

 「きちんとアポイントをとって訪ねても、まともに答えてもらえることは少なかったですね。最初の頃のフランス取材では好き勝手にしゃべられて、私からは何も聞けずに取材終了、ということも(笑)。悔し泣きしたことは数知れず、です」

 一方で両親を殺害され、兄弟とも生き別れたアフガニスタンの少年、父親や同じ部族の大人たちに暴行されて逃げてきたギニアの少年など、過酷な状況下にあった子どもたちに取材をすることは、その傷口に塩を塗りこむようなことにもなりかねない。“取材がしたい”というのは自分側の都合を押し通すことを控え、「パリに来ておいしいものは食べた?」「パリでの生活は楽しい?」と相手の日常生活の延長線上にある会話をすることから始め、相手が自分から話してくれるのを待った。

 「ときには一緒にノートルダム寺院周辺を観光したり、ケバブサンドを食べたりしたこともあります。そうして相手が心を開いてくれるのを待ちました」

 そんな状況が一変したのが、2011年3月。東日本大震災の2日後、増田さんは2週間という長期取材でフランスを訪れた。

 「日本を離れてよいものか逡巡しながらフランスへ発ちました。でも行ってみたら、『こんな大変な時期に自分たちの話を聞きに来てくれたんだ』と取材相手がみんな誠実に対応してくれたんです。どこの国の人でも信頼関係が成り立てば心を開いてくれるし、裏切らないと分かった瞬間でした

昨年9月、フランスのカレー難民キャンプで取材する増田さん。アフガニスタンの青年とともに
昨年9月、フランスのカレー難民キャンプで取材する増田さん。アフガニスタンの青年とともに