ハーバード大進学か、農園を継ぐか──。ゴールドマン・サックス証券副会長のキャシー・松井さんは究極の選択の末に大学へ進学し、その後に続くチャンスをつかんだといいます。これまでのキャリアの軌跡についてお聞きしました。

子ども時代、親の教えを通じて働くことの大切さを学んだ (C) PIXTA

 これまで、主に日本株のストラテジストとして仕事をしてきました。ストラテジストは、投資戦略全般について分析し、機関投資家に投資戦略を提案する専門家です。金融業界に身を置いて4半世紀以上。今では、母国アメリカで過ごした期間よりも長く、日本で暮らしています。

 私は日本人の両親のもと、アメリカで生まれ育った日系2世です。故郷はカリフォルニア州中部のサリナス。農場が広がる田舎町です。

 現在、世界最大の蘭会社を経営する父は、1961年に1万円札を握り締めて渡米。その後、母と姉が移住し、アメリカで私と2人の弟が生まれました。両親は当初、現在のシリコンバレーの農園に雇われていましたが、私が小学生のときに父が永住権を獲得。サリナスの地で独立を決意し、安定した需要が見込める菊の栽培を始めました。両親が必死に働く間、子供たちは住まい代わりの小さなトレーラーハウスでお留守番。生活は貧しく、子供を保育園に預ける余裕もない状況を見かねた知人が、自ら経営していた保育園に無償で通わせてくれました。

 松井家では、子供が親の仕事を手伝うのは当然のことでした。私も4歳から家事を手伝い、小学5年生になると農場で働くように。菊栽培で成功した父は、その頃バラの栽培に着手、従業員は100人近くいました。私たち姉弟は毎週末、夏休みなどは、日没まで畑仕事。花摘みや水やりなど、従業員と変わらず働きました。きつい仕事をいやいやながらも手伝ったのは、働かないとお小遣いがもらえなかったから。でも頑張った分の対価はちゃんともらえた。父からは、働くことの大切さと、「お金は空からは決して降ってこない」ことを学びました。

 父の事業が拡大するにつれ、生活は安定し、我が家も一軒家になりました。しかし、そのほかの生活はほとんど変わらず。両親は熱心に働き続け、家族旅行もディズニーランドに1~2泊した程度でした。「必要以上のお金を与えると、人間は怠惰になる」という父の考えから、他の農場主の子供が親のお金で遊ぶのを横目に、私は親の仕事を手伝っていました。