時代に取り残された? いやいや、一周遅れのトップです
環境としては「一周遅れ」と言ってもいい状況。90年代~00年代にかけての広島カープの弱さは、環境面での立ち遅れによるところが大きいでしょう。
同時期に行なわれていた、新人獲得競争での「希望入団枠制度(※ドラフトを経ずに好きな選手を獲れる仕組み/その結果、入団前に選手に数億円を渡すという裏金問題が勃発)」というマネーゲームも、広島と他球団の差を広げる一因でした。
ただ、その状態でも球団収支として赤字を出さずに、「死なない」運営をつづけてきました。
それが、「一周遅れでトップに立つ」という時代のめぐり合わせを呼んだのです。
まず選手獲得競争においては、2007年に希望獲得枠制度が廃止され、新人獲得競争は「ドラフト会議でのクジ引きを経る」形で横並びになりました。
さらに1994年の野茂英雄の渡米をきっかけに、1998年にはのちにイチローがアメリカのメジャーリーグへ移籍をはたすことになるポスティング制度(※フリーエージェントではない選手がアメリカに移籍するための仕組み/希望球団に行けるとは限らないが、フリーエージェントよりも早い時期に移籍が可能となる)が創設され、並行してフリーエージェント制度でのメジャーリーグへの移籍も盛んになりました。1999年の佐々木主浩や2002年の松井秀喜など、当時の球界を代表する選手もアメリカへと移っていったのです。
これにより、「本当にスゴイ選手はアメリカに行く」という流れが生まれ、お金で劇的に戦力を高めることが難しくなりました。広島とほぼほぼイーブンな条件へ、他球団が落ちてきたのです。
そして、地域密着というトレンドが、後ろから広島に追い付いてきました。
00年代頃から、地上波での野球中継が減少しはじめます。テレビのチカラを活かして全国的な人気を獲得するのが難しくなる中で、サッカー・Jリーグが提唱した「地域密着」という考え方はスポーツの新しいトレンドとなります。
広島は、まったく偶然ですが、はるか昔からそれをやっていました。広島市に密着というか融合し、チーム名にも特定の企業名を出さず(※「東洋」はもともと企業名であるが現在は社名変更ずみ)、市民球団として生きてきた。
いつの間にか、時代の先頭に広島は立っていたのです。
さらに、一周遅れの決定打がスタジアムでした。