すべての戦いに勝って、あの場にいた吉田沙保里

 誰もが目を疑った敗戦と、文字通り号泣する吉田さんの姿。スタンドでは、妹分と言える登坂絵莉さんが泣いていました。誰もが、泣くか、ほうけるか、どちらかでした。「ごめんなさい」「取り返しのつかないことをした」と謝る姿には、胸が締め付けられるような気がしました。

 吉田さんはリーダーというか、もはや神のごとく、あらゆるものを背負ってきました。4連覇をかけた自身への期待に対しては、常に「金メダル」を約束してきました。「世界チャンピオンが結構負けている。大丈夫だろうか」と不安がる後輩には、「大丈夫。女子レスリングの世界チャンピオンは負けてない」と吉田印&伊調印の太鼓判を押しました。「主将になるとメダルが獲れない」などと言われる日本選手団の主将に就き、さまざまな式典に参加し、すべての選手を代表してきました。

 2013年に起きた、レスリングの五輪からの除外騒動。このままでは2020年の五輪からレスリングが消えるかもしれない。吉田さんはレスリング界の顔として、ロビー活動に奔走しました。そして同じ年の9月に決定することになる東京五輪。この招致活動でも吉田さんはアンバサダーとして、駆けずりまわりました。請われれば、あらゆる仕事に取り組んできました。誰の重荷もえり好みせず、ヒョイと担いできました。肩車でもするように。

 そうしたすべての戦いに勝って、あの場に吉田沙保里はいた。

 レスリングでの連勝記録にとどまらず、スポーツに関するありとあらゆる現場に駆り出され勝ち続けてきた吉田さんが、最後の最後で自分のための勝利を逃し、自分だけの痛みで泣きました。自分以外、誰も傷つけない痛みで泣きました。送り出した後輩たちに多くの金メダルを獲らせ、支えてくれた人には決勝の舞台まで万全な体であり続けることで応え、応援してくれた人には銀メダルを持ち帰りました。ただ、自分一人だけが負けた。

 もっと早くに負けていたら。もっと早くに壊れていたら。それがどれほどの反省や問題視や議論を生んだことでしょうか。しかし、何も起こさず、何も傷つけずに、ただ「吉田沙保里が負けた」という1試合の勝ち負けに収めました。吉田さんが「重荷でつぶれた」かのように表現する記事や意見もたくさんありますが、そうではないと思うのです。たくさんの荷物を背負ったけれど、それは全部無事に下ろしたのです。そして、吉田沙保里という身一つで負けた。すべての仕事をやり遂げた、真に強いリーダーでした。