善意で始めた習慣がいつの間にか無償業務に

 来客にお茶やコーヒーを出すのが業務ならば、その準備をすることも業務に含めることは自然だと思うが、業務には含まれていなかった。しかも、コーヒーメーカーは、来客だけでなくそこで働く人が個人的に使うものも兼ねている。業務ではないのだから、15分早く出社したからといって、その時間の給料が出るわけではない(今の会社で時間外労働の賃金が出ないことのほうが多く、それは全体的な問題ではあるのだが)。その作業は、職場の慣習として派遣社員だけに受け継がれる“善意の無償労働”だったのだ。

 もちろん、それくらいすればいいじゃないかと思う人もいるだろうし、当時の私も決まり事の一つであると思っていたので疑問はなかった。しかし、実際にやってみると、妙なプレッシャーがあった。当番の女性が遅刻や欠勤などでコーヒーセットをしていないと、ほかの社員たちから私が文句を言われるのではないかとビクビクした。また、その女性が、連絡もせずに何らかの事情でセットができないときに、私が代わりにやっておくべきなのだろうかとヤキモキしたし、連絡をよこさない女性にも腹が立ったりしていた。

 よく考えると、この作業さえなければ彼女が私に連絡をよこす必要もないし、私がヤキモキする必要もないのだ。派遣社員時代のことで、このことだけは鮮明に覚えているのだから、そのストレスはかなり大きかったのだろう。

 なぜ私がそこまでストレスを感じたかというと、それは代々の派遣社員が善意から始めた習慣であるのに、人から見たら些末なことであるし、業務内の仕事のように思われて感謝もされず、それどころか、忘れると人から責められるということにあると思う。そして、それは一日では終わらず、交代とはいえ、そこで派遣をしている限りは続くのだ。

 しかも、その頃は、私もこの作業とジェンダー規範とが関係するということを知らなかったため、「なぜ女性の派遣社員ばかりがこの余剰な無賃労働を当たり前のようにやらなくてはいけないのか?」という疑問も持っていなかったのだ。そのため、不満は、交代で当番をしているのに連絡もよこさずサボっているように思えた女性に向けられたりしていた。これこそ、原因はほかにあるのに女同士の亀裂が生まれる構造ではないか。

 このほかにも、契約社員として働いていた小規模の会社では、女性だけがやはり午前中にトイレ掃除とゴミ出しをするというものもあった。もちろん、派遣時代の女性のコーヒーセットと、契約社員時代の女性だけがトイレ掃除やゴミ出しをするという例は、私の個人的な経験であるし、今の時代には、なかなかそんなことはないかもしれないと思うが、家庭で主にお母さんがやってきた仕事というものは、会社でも女性だけが当然のようにやることになっていたし、それをしたからと言って感謝も評価もされず、そして女性たちの自主性(善意というよりも母性というべきだろうか)に期待されているのを感じた。