それは、もはや修行だった
午後7時。いよいよ祭りがスタートしました。
今回担ぐ「女神輿」は、先頭で出発します。神輿初心者の私は周囲の迫力に押され、持ち前の引っ込み思案も発揮して立ち尽くしてしましたが、そんな甘えはもちろん許されません。勇気を出して神輿の担ぎ手さんのそばへ行きなんとか場所をゲット。そうして神輿を担ぎ始め10歩ほど歩いたときでしょうか。
ばしゃぁーーーーーっ。
なんともちょうどよい湯加減のお湯が、私たちの神輿目掛けて降り注ぎ始めました。
「あったかーい」「温泉入ってるみたい」。最初はそう周りの方々と会話できるほどの余裕がまだある私。しかし、次第に沿道の人々が容赦なく神輿に向かってお湯を掛け始めると、先ほど聞いた、先輩方の言葉が現実味を帯びてきます。「息ができないほどお湯掛けられるよ」。
息もできない
それは本当でした。それまでは沿道からは容赦なくお湯が降り掛かるものの、湯おけにくんだお湯を掛けているので、時々ふっとお湯切れになる瞬間がありました。しかし次第に、シャワーを浴びているかのように、ざぁざぁとお湯が掛かり始めます。一体どういうこと?! と、ふと沿道を見ると、放水車がホースでお湯をまいているではないですか。これは滝行ですか?
しかし神輿を担ぎ続けているうちに、ほんの一瞬ですが「あ、今、周囲の方々と少しだけ足並みをそろえられたかな?」と思えるようになってきました。すると気分が良くなって「どうぞどうぞ、もっと掛けなさいな」と、お湯を掛けまくる沿道の人々に対して慈悲深い気持ちになってくるから不思議です。
そうして約2時間、およそ2kmの道のりを担ぎ、神輿はゴールの泉公園へ。
この時点で、お湯を掛けられた私の体はすっかり冷え切り、正直意識はもうろうとしていました。そう、お湯を掛けられる瞬間は温かいけれど、少し時間がたつと、ぬれた半纏がどんどん体温を奪うのです。私はただひたすら、早く着替えて温かいお風呂に入りたいとぶつぶつ念じていました。
泉公園では、大きなたき火がまるで護摩行のようにごうごうと燃え盛っていました。私はそーっと神輿から離脱。一目散にたき火の真ん前を陣取ると、冷えた体が瞬時に温まるのが分かります。と同時に、プールで泳いだ後のような疲労感が、どっと押し寄せてきます。
日ごろの運動不足を呪いながら、びしょぬれの半纏からもうもうと湯気が出るのを放心状態で見つめているうちに、すべての神輿が集まり、祭りはフィナーレを迎えました。