【質問2】現在に至る分岐点となったことは?

【回答】専業主婦からレストランの広報になった時です

 アパレル商社に勤めている時に結婚しました。相手が転勤族だったことや生活時間がズレてしまうことから会社を辞めて専業主婦をしていましたが、その後、離婚することになってしまいます。

 仕事は辞めていて、子どもがいるわけでもなく、誰かの役に立っているわけでもない。「誰々の妻」ということだけが自分のアイデンティティーになっていたので、その「誰々」がいなくなったら、だるま落としで一番下を抜いた時のような状態になりました。いわゆるアイデンティティー・クライシスを起こして、栄養失調となり入院。「私は何者か」と、すごくもんもんとした時期を過ごしました。

 その時に、私は自立していたつもりだったけれど、本当は自立できていなかったのだと気付いたのです。両親はすごく心配して、「帰ってこい」と言っていましたが、私は帰ったら終わりだと思いました。吉本ばななさんの「デッドエンドの思い出」で、婚約者に去られた女の子が、「家に帰ってしまったら『かわいそうな自分』になって、自分を追い詰めてしまうだろう」という意味の話をするのですが、まさにその心境だったのだと思います。

 当時は専業主婦だったので、まずは収入がなければ生きていけません。自分で稼いで自立するために求人情報誌を見ていたところ、最初に勤めていた会社の近くにあるレストランを経営している会社が、広報部の人員を募集していました。毎日通勤前にお茶をしに行っていたお店で、いい思い出しかありません。そこで仕事ができたら素晴らしいと思い、履歴書を送りました。

 選考が進むと、広報として店でやりたいことをレポートにするという課題が出されました。私はそれを考えられることがうれしくて、毎日パソコンを持ってお店に通い、レポートを作成。以前通っていたことからギャルソンとも顔見知りになっていたので、「パソコン持ってどうしたの?」なんて話し掛けられることもありましたね。そのレポートが通り、社長面接を経て、レストラン広報になりました。

「私は何者か」を考えたという奥村さん。その時のレストラン広報への転職が今につながりました
「私は何者か」を考えたという奥村さん。その時のレストラン広報への転職が今につながりました

【質問3】書籍PRになったきっかけは?

【回答】レストラン広報で知り合った方に声を掛けられました

 広報をしていたレストランは、食を通じて文化を提唱するお店です。そのため、「どう文化を出していくか」をすごく考えて仕事をしていました。しかし働き始めて3年後、会社がM&Aで別の会社に買われることに。私も同僚たちと一緒に新しい会社に移ったのですが、理念が全く異なる会社で、退職することを選びました。

 このくらいの時期からのことは「進む、書籍PR!」(PHP研究所)でも詳しく書いているのですが、退職を知らせた時に書籍PRの仕事を紹介してくれたのが、アップルシード・エージェンシーの鬼塚忠さんです。鬼塚さんは、広報時代にレストランの歴史を振り返る本を作ろうとご相談していた方でした。みんなで食事をしている時に、「奥村さんは本を読むのが好きだから、本のPRをすればいいじゃないですか」と言われたことがあったのです。当時は真に受けていませんでしたが、退職を知らせた途端、「今から15分で目黒に来れる?」と電話が来たのです。これが、書籍をPRする仕事を始めたきっかけでした。