ギフトで自分の評価を上げようとすることなかれ!

「さすが小島慶子! と思われるようにしていた時期もありました」
「さすが小島慶子! と思われるようにしていた時期もありました」

 とはいえ私も、夫のバレンタインのお返しを用意する際、つい見えを張ってしまっていたことを白状します。

 妻帯者からのホワイトデーのお返しは、だいたい「妻セレクト」ですよね。そして当時夫にチョコレートを下さった方々は妻が私であることを知っていたため、「小島慶子、さすがじゃん!」と思われるようなお返しを選ばねばと、私は毎年プレゼント選びに並々ならぬ力を注いでいました。

 でもあるときふと気が付いたんです。甘いものを食べない夫故、会社の女性たちからもらったチョコを食べるのは私。そして女性たちへのお返しを選ぶのも私。つまりバレンタイン&ホワイトデーとは、毎年毎年会ったこともない女同士が夫を運び屋とし、互いに贈り物をし合うイベントということになります。しかもそのとき相手は4人連名でチョコ1箱なのに対し、こっちは高いお菓子を一人一つずつ用意していたのでかなり高くついていた上、センスの腕試しまでされるなんて……どう考えても割に合わなくないか?

 このことに気付いてからは、千代紙のコースターなど、ホワイトデーのギフトとしてはビミョーなものをあえてお返しにチョイスしてお渡しし、以降、バレンタインの儀式は自然となくなりました。

 でもこれ、悪いのは相手じゃないんです。見えを張ってしまう自分、ひいてはギフトによって自分の評価を上げたい、なんなら夫の評価もアップしたいというよこしまで浅ましい己の弱さが原因なんです。

 たとえそこで「ホワイトデーにこんなお返しをくれるなんて、さすがは小島慶子!」なんて高評価を得られたとしても、そんなものの効力は一瞬ですし、人はすぐに忘れます。ましてやお返しで夫の評価がうなぎ登り! なんてことは絶対にないでしょう。

 となるとやっぱりかけた時間とお金の割に見返りが少ないので、職場へのお土産同様、これも思い切ってやめてよかった習慣ですね。

ギフトにもやめ時の「気配」がある

 ついこの間までお歳暮や年賀状のやりとりで大変だったという方も多いかもしれませんが、実はこれも私、やめてしまいました。

 お歳暮は退社を区切りにほとんど贈らなくなり、年賀状も今から10年くらい前に勇気を持ってやめました。

 だってこちらが一生懸命手書きで出しても、「表も裏もオール印刷かよ!」みたいな味気ない年賀状も多かったですし、その頃既にメールでのやりとりが普通になりつつあったこともあり、徐々に数を減らしていって最終的にやめてしまいました。

 とはいえ、お中元、お歳暮、年賀状、バレンタインなどなど、一度贈り始めるとやめ時が難しいものは多いですよね。でもそうした習慣化したギフトにも、潮時の「気配」があるんです。

 例えばお返しの礼状が「今回は結構な○○を賜り、ありがとうございました」と、○○部分だけ手書きするタイプだったりすると、「あ、数が多くてお返しするの大変なんだな」と察することができます。最初の頃はオール手書きの礼状をいただいていた場合はさらに分かりやすいサインですから、そろそろやめ時と考えてもいいかもしれません。

 あと、以前はお心を感じる品物だったのが、だんだん毎年同じものになってきていたり、価格も抑えめなものになっていたりする場合も、潮時のサイン。ご負担になっているかもなと察して、すーっと引くようにしています。

 お中元、お歳暮、年賀状はルーティンになると双方がつらいので、基本的にはその年、お世話になったかどうかで出すか否かの判断をすればいいのではないでしょうか。毎年オール両面印刷の年賀状を惰性で出し続けるより、本当にお世話になったときだけ、きちんと手書きで差し上げたほうが気持ちも伝わる気がします。