お土産は「暴力」にもなり得るぞ

 かくいう私も最近、お土産で反省をしたばかりです。

 2014年に家族でオーストラリアのパースに引っ越し、仕事のために日豪を行ったり来たりする生活を始めたのを機に、ちょっとしたお土産を買っていくのが習慣になりました。

 せっかく珍しい場所に住んでいるわけだし、地元のちょっとしたものをギフトとしてあげたら喜んでもらえるのではという思いつきから、3週間おきに日本へ帰ってくるたび、お世話になっている皆さんに配るようになったんです。

 そうしてしばらくたった頃、今度は皆が私に対してお土産をくれるようになりました。何でだろうと思っていたんですが、あとでハッとしました。これは私のオーストラリア土産に対するお返しなのだと。頼まれてもいないのに3週間ごとに私がミニギフトをあげるものだから、「いつもいただいてばかりですみません」と、打ち合わせのたびにお菓子を持ってきてくれるようになってしまったんです。

 「こんなに珍しいもの買ってきたわ」と、相手に「うれしいです」と言わざるを得ない状況をつくり出したうえ、彼らに「お返ししなければ」という心の負債まで抱えさせてしまっていた。これはもうお土産という名の暴力だと痛感しました。

 もちろんギフトをもらうことは本来うれしいことなのですべてが暴力だとは思いませんが、私のように習慣化させてしまうと、相手にとって負担になってしまう可能性があります。ですから何かを差し上げるときは、「気まぐれ」を装うのがいいかもしれません。

 「ちょうどデパートで物産展をやっていたので」「自分の好物でつい買い過ぎてしまって」「お使いのついでで」……など、極力相手にプレッシャーを与えない状況づくりを心掛けたいものです。

贈り物に個性はいらない

 軽やかに贈り物ができる、ギフト上手な方もいますよね。お土産選びがお上手だなといつも感心させられるのが、小説家担当の編集者さん。手ごろな価格なのにとびきりおいしい和菓子といったような、相手の負担にならない範囲でのすてきなプレゼントが本当に上手で。もしかすると社内文化として脈々と「お土産術」が受け継がれているのかもしれませんね。

 逆に下手な人のお土産は、「これを選んだ私のセンス、すごくない?」と、己の趣味を押し付けてくるようなものが多い気がします。

 例えばウケ狙いでトリッキーな味のちんすこうを沖縄旅行のお土産に選んだとしましょう。するともらった側は普通じゃないちんすこう故、「何ですかこの味~。面白いですね~」と反応せざるを得なくなってしまいます。

 こういったツッコミ待ちの姿勢が漂う贈り物も、もらう方の負担になります。自分の好きを貫くと相手の好みに合わない可能性が高まるばかりか、彼らにツッコミまで強要する暴力となり得ることを覚えておきましょう。

 そんなことを踏まえ、よっぽどのことがない限り、お土産やギフトは「定番」でいいと思うんです。北海道旅行のお土産は「白い恋人」、仙台出張だったら「萩の月」。ウケもひねりもいりません。普通の、ありふれたものが相手を一番安心させるんです。

 また日経ウーマンオンライン読者の方は結婚祝いや出産祝いなどのやりとりが多い時期かと思いますが、これも迷ったら「ベーシック」に立ち返ることをおすすめします。