今、特にネットの世界で散見する「行き過ぎた弱者配慮」が気になるというはあちゅうさん。「弱者が強者」になっている社会に対し、警鐘を鳴らします。

過剰な配慮は差別の始まりでは?

 最近、立場が弱く見えるへの配慮が過剰になっていて、その分、立場の強い人や普通に暮らしている人たちの権利や主張が圧迫されているような気がします。

 このことを感じたきっかけは、昨年春に執筆した『とにかくウツなOLの、人生を変える1か月』という本を出版したときのこと。タイトルにある「ウツ」に反応した人たちから、「そんなふうにカジュアルにうつという言葉を使うなんて、本当のうつの人に対して失礼だ」というバッシングがあったんです。

 でも、「プチうつ」や「うつっぽい」なんて言葉が雑誌でも取り上げられているように、うつという言葉は、カジュアルに使われ始めています。逆に、うつ病を特殊な病気として腫れ物のように扱ったり隠したりするほうが問題で、もっと、みんな、フラットに話せばいいんじゃないかと私は思うんです。

 花粉症のことはみんな、話しますよね。花粉症とうつ病は別次元の話と分かった上であえて極端な例を使いますが、花粉症のことを話すみたいな感覚で、どんな病気のことだって話せたら、病気を隠したり、思い悩む必要もないと思うんです。特別扱いするから、特別な人や特別な問題になっちゃうんですよ。だから、私は行き過ぎた配慮は差別の始まりだと思います。

「行き過ぎた配慮で、強い立場にある人や普通の人の権利が脅かされていませんか?」(はあちゅう)

グレーな人たちだってたくさんいる

 私はうつとうつではない人の間に、そのどちらとも断言できない“グレーな人”がたくさんいると思っています。そう考えたとき、うつという言葉をカジュアルに使ったほうが、きっと病気未満の人たちの心の救いになると考えています。言葉狩りしたところで、つらい症状が緩和されるわけではないのだから、せめて、フラットに話せたほうがいいんじゃないかと思うんです。

精神科への通院歴は悪いことなのか?

 深刻なことも、軽く話せば、深刻さが緩和されると思います。

 私自身も心を病んで、病院に通ったことがありますが、そのことを友達に打ち明けたら、「実は私もそういう経験があって」と、同じような経験を抱えていたことを教えてくれました。

 「これは話しちゃいけない」「話したら引かれる」「私は普通じゃないんだ」と思って隠したりすることが、事態をより深刻にすることってたくさんあると思います。