日々、Twitterやブログで発信を続けているはあちゅうさん。時にその発言は賛否両論を巻き起こし、炎上に発展することも。今回、炎上の当事者であるはあちゅうさんから“燃え盛る炎”はどう見えているのか、ズバリお聞きしてみました。

3年後に誰かの記憶に残る言葉を使いたい

 発言が炎上するかどうかは、投稿する時点でだいたい分かります。

 だから表現をもっとまろやかにすれば炎上しないことも分かっているんですが、言いたいことをぼかして書いて、嘘の自分で、メディアに出る意味もないなあと思って。タレントではないので優等生のフリをしてまでメディアに出るのなら、私である意味がないんです。ほぼ素人の私の発言に価値があるとしたらそれは、正直さなのだと自分では思っています。私が感じていることなら、この世界に誰か同じようなことを感じている人もいるかもしれなくて、その人たちは、なかなか正直に何かを言える立場ではないかもしれない。その言葉を代弁できるなら、それが私がメディアに出る意味だと思っているんです。

 誰も傷つけない当たり障りのない言葉を見つけるのは簡単ですが、そんな発言をしたところで誰の記憶にも残りません。であれば炎上しようとも、誰かの記憶に3年先まで刻まれるくらい、インパクトある言葉を使いたいんです。

「発信するからには、誰かの記憶に3年先まで刻まれるくらいの言葉を選びたい」(はあちゅう)
「発信するからには、誰かの記憶に3年先まで刻まれるくらいの言葉を選びたい」(はあちゅう)

 あと、キャラを使い分けたくないっていうのも理由の一つです。表用の自分とプライベートの自分に垣根を作らず、どこを切り取られても、嘘だけはついていないと言える自分でいたいんです。いい人のフリをしたり、共感だけ集める共感botの役も、意識すれば、演じられると思います。でも、世の中を斜めから見てしまったり、人のブラックな部分を面白く感じちゃったりするのが、私という人間です。それは変えられないから、諦めて、そのまま全部ネットにも出していこうというスタンスです。

スタンスを明確にできない人は、良い発信者にはなれない

 とある方の「白か黒かどっちでもいいようなことでも、あえて白黒はっきりさせなさい。それが発信者だから」という言葉が強く印象に残っています。

 それからは、どっちの立場も取れると思うときほど、自分が白なのか黒なのか、どっちサイドかを考えた上で、その理由を発信するようにしています。

 だいたいすべてのことにおいて、どっちでもいい人のほうが多いんです。私も関心がないことにはつい適当になりがちですが、それでも「どっちの考え方?」と聞かれたとき、「私はこっち」と明確に言える人でいたいと思っています。