
今回の日経ウーマン調査「女性が活躍する会社ランキング2011」の評価指標のひとつでもある、女性管理職の登用度。男女雇用機会均等法施行から25年たち、女性管理職の層が厚くなり、上位企業の多くに生え抜きの女性役員が続々登場している。その中でも、1918年創業の、日本を代表するメーカーであるパナソニックに女性役員が誕生したことは大きなニュースになった。同環境本部長の宮井真千子氏にキャリアの軌跡を伺った。
――役員就任の話がきたときは、どう思いましたか。
まずは、大変驚きました。私が?という感じでした。
発表になったときには、予想以上に反響が大きかったです。製造業以外では女性役員は多く誕生しているのでもう珍しくないと思っていましたが、パナソニックで創業初ということで、インパクトがあったんでしょうね。
宮井さんは1960生まれ。和歌山県出身。1983年お茶の水女子大学家政学部卒業後、松下電器産業(当時)入社。炊飯器事業部(同)に配属。IHジャー炊飯器の開発に携わる。01年くらし研究センター所長、06年松下ホームアプライアンス社クッキングビジネスユニット長。調理機器部門のモノづくりのトップとなる。日経ウーマン「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2007」総合2位。10年環境本部副本部長となり、11年4月1日に付けで環境本部本部長。「環境担当として環境貢献と事業成長を一体化させるのが私のミッション」と抱負を語る。
――宮井さんが入社した1983年は、まだ男女雇用機会均等法もない時代ですね。入社当時自分のキャリアをどのように描いていましたか。
こんなに長く働くとは思っていなかったですね。私はキャリア志向がなく、早く結婚してたくさん子どもを産んで…というイメージだったんです。もし、20代で出産していたらすんなり会社をやめていたと思います(笑)。でも出産が35歳と遅かったんです。
自分が技術開発に携わった商品が世界中のお客様に届く、それがお店に並び、買ったお客様から「ありがとう」とメッセージもいただく。モノづくりの楽しさを存分に味わっていたので、仕事と育児を両立させて何とか続けようと思いました。
出産当時は夫の海外赴任とも重なり、両立するのは大変だったという。
「いろんな人の手を借りましたね。東京で会議があって大阪から出張しなければいけないときは、誰にも預けられず、子どもをホテルの保育室に預けて会議に出席したことも。綱渡りの日々でした」
宮井さんの転機は、39歳で課長職に就任したときに訪れた。当時、国内の社員は8万人。女性管理職もそれなりにいるだろうと思ったのに、女性の課長級は14人しかいなかったという。
「これは、会社は変わらんと、と思いましたね」
宮井さんの感じたことは、実は会社の課題でもあった。
連結赤字4310億円という巨額の赤字が松下を襲った01年度、当時の中村邦夫社長が、多様な人材が活躍できる組織にするために改革に着手、女性活用を経営戦略と位置づけたことから同社の取り組みが本格化した。社長直轄の専任組織「女性かがやき本部」(現・多様性推進本部)を設置し、ポジティブアクションを策定。女性管理職登用や両立支援プログラムを充実させて、大胆な改革を推進した。その結果、女性の活躍が当たり前という企業風土に変わり、それが、ななめドラム洗濯乾燥機やノンフロン冷蔵庫など数々のヒット家電を生み出す土壌となり、業績のV字回復を牽引した。それが女性役員誕生へと結実した。




