80年代末に文化人類学を米国で学ぶ

田中さんは、財団法人国際開発センターの主任研究員をしている。専門は、開発人類学と社会開発だ。この二つを専門にすえている人材は、日本では田中さんだけであろう。
田中さんが修めた「人類学」は、特定のどこかの民族についての学問ではなく、共有資産の管理、天然資源と人間との関係を研究するエコロジカル人類学の理論と方法論なのだという。公共経済学とも通じる理論だ。80年代末、米国で学んできたその理論を、田中さんは世界中の様々な風土・文化の中で応用し、現地の風土・文化にあわせた共有資産の管理方法や人々の協働のあり方を提案し、開発援助の現場で実践してきたという。
休職して留学しようと考えていたのだが、「会社が、人類学などでは飯が食えない、クビと言うので、会社を辞めて行った」のだとか。
なぜ人類学にこだわったのですか?と聞くと、田中さんはこう答えた。
「それまで出版社で学習誌の企画、編集をしたり、農業実習生になったり、開発エコノミストになろうと思ったこともありました。でも、なんでもお金に換算する経済評価が性にあわなくて、数字にならないことを見ようとする人類学、社会学に関心を持ったのです。それで、米国で学ぶことにしました」
90年の6月、帰国して直ぐに、日本の開発コンサルタントをまとめる協会が「これからは日本の援助でも、アメリカのように開発人類学でも飯が食えるようになるのかもしれないな」と、採用してくれた。以後、田中さんの開発コンサルタントの道が始まったのである。
コミュニティが自由に使ってよい資金を渡す

田中さんは、現在インドネシアの南スラウェシ州とネパールの2か所で開発コンサルタントとして、JICAのパイロット・プロジェクトを行っている。インドネシア南スラウェシ州では、「地域保健運営能力向上プロジェクト」と「前期中等教育改善総合計画プロジェクト」の二つを実施中。ネパールでは「小学校運営改善支援プロジェクト」を実施中だ。学校教育や保健などの社会開発事業を行う地方の行政府の能力を向上させるというものだ。3つの地域とも、私は訪ねたことがあるため、現地の人々の教育レベルや住民間のまとまり、経済状況などを思い浮かべながらお話を伺った。
田中さんが国際協力の世界で有名なのは、常に新しいことへの挑戦心を持っていることにある。その端的な取り組みが、小額の使途を決めない資金をコミュニティに提供して、その使い道を住民自身が自由に決めてよい、お金の管理も彼ら自身が行う、と言うプログラムだ。ボトムアップ型でコミュニティに共通の目標を何か決めてもらい、それを通じてコミュニケーションを深めるというプログラムだ。
「あ、REDIP(Regional Educational Development and Improvement Program)ですね。今はインドネシアとネパールでREDIP型のプロジェクトをやっています。日本円で約20万円のお金を預けてこれで皆のためになることをやってみてと、自由な発想で考えてもらったのです。すると、インドネシアでは底辺校で納棺の仕方を学ぶ授業を行ったり、スタディーツアーを組んで知らない土地へ行ったり、各戸でトイレを作ったり。モザンビークでは改良かまどの作り方を学ぶために講師を呼んだりもしました。アフリカのシエラレオネでもしていました。でも、シエラレオネのほうは、JICA直営のプロジェクトに切り替わることになりまして、私たちは手を離しました」
シエラレオネのあんなにうまくいっていた事業がどうして?と聞くと、答えにくそうに、田中さんは短くこう答えた。
「民間のコンサルタントに任せて自由に内容を決められた、調査・実施一体型の緊急支援プロジェクトがうまくいったので、JICAの専門家がそれを引き継いで直営の技術協力プロジェクトにしたのです」
明言すると、「のっとり」ということだろうか。JICAでは時々あることだ。
「JICAの中ではREDIPは多数派ではないんです。“日本人”は見えないし、技術を現地の人に教えてやる、みたいな技術協力らしからぬプロジェクトですから。自分で実施するのが好きな日本人には不好評で、お金のバラまきじゃないか、と言う人もいます。ですが、JICAでも熱心に支援してくれる人がいて、ここまで広めてくれました」
住民に自由な発想で資金を使ってもらい、やる気を誘発するという方法に、インドネシア政府のほうが触発された。「途中から資金を政府が出してくれました」と、田中さん。



