
近代の歴史には思いもかけぬ「仕掛け」が埋められていることがある。「仕掛け」とは、国家が別の国家に対して示す明らかな意図を持っての公式な動きではない。人本位の、話し合いの「場」のことである。政治を動かす権限のある人々がこの「場」を通して得た情報と知恵を動員して作るのが、国際社会の世論だ。日本にもそれはある。その一つが、アジア・太平洋国会議員連合(Asian―Pacific Parliamentarians’ Union:APPU)だ。日本とアジアの諸国の国会議員で構成する連合である。今回紹介するのは、この連合をまとめる廣瀬徹也(ひろせてつや)さんだ
「自由反共」をめざして岸内閣時に発足

私がAPPUの存在を知ったのは偶然であった。私が国際協力の取材を始めるきっかけを作ってくれた恩人が送ってくれた発行物に、APPUの総会があった旨が、短く記されていたのである。ふと、記憶がよみがえった。「そういえば、去年もこの機関の名前を目にしたことがあった。たしか、麻生太郎さん(前首相)が日本議員団の団長をしているはず」と。私は、すぐにその知人に電話した。そして紹介されたのが、廣瀬さんだった。
廣瀬さんはアジア・太平洋国会議員連合中央事務局事務総長をしている。少しいかつい肩書きである。名刺交換後「廣瀬総長」と呼びかけたのだが、その呼び名がご本人の柔らかな物腰とかけ離れているため、どうもしっくりしない。私はしだいに「廣瀬さん」と簡略化して呼びかけるようになってしまった。本欄でも平易な呼び方をお許しいただきたいと思う。
APPUは現在、正加盟国が21ヵ国ある。アジア地域では、日本、中華民国(台湾)、大韓民国、タイ王国、マレーシア、フィリピン共和国、ラオス人民民主共和国、モンゴル国の8か国、太平洋地域が、ナウル共和国、バヌアツ共和国、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国、ソロモン諸島、パプアニューギニア独立国、トンガ王国、サモア独立国、キリバス共和国、ツバル、フィジー諸島共和国、パラオ共和国、クック諸島の13か国である。準加盟が2地域(グアム、北マリアナ諸島)、オブザーヴァー1ヵ国(ベトナム)となっている。普段はあまり耳にすることがない国名が並んでいる。クック諸島は、日本などは独立国家として承認していないが、APPUでは正加盟国として認められている国だ。
「かつてはね、APPUは日本がほぼ丸がかえの連合でした。でも今は“分担金”と言う名の自発的拠出に頼った運営でして。今流行の“天下り”なんていえない、低予算のボランティア総長ですよ」と、自嘲気味に現職を説明する。しかし、目は正面から私を見ている。気骨のありそうな方だ、と私は察し、耳を傾けた。
APPUは昭和40年(1965年)、自由と反共を目的に、岸信介元首相が始めた、日本とアジア諸国の国会議員の共同体だ。
1965年といえば、ソ連の勢いが強く、多くのアジア諸国が東西冷戦の間で揺れた時代である。経済的に弱い国は国際政治でも弱く、ソ連に押さえ込まれてしまいかねない。アジアでは、インドネシアのように反共を目的に独裁体制を打ち立てた国も生まれた。
廣瀬さんは、設立の経緯と活動を記したリーフレットを出して、岸信介元首相の意図を示してくれた。そこにはこう書かれてある。
「アジア諸国間の政治と経済、外交、ならびに安全保障などに関する連帯や緊密な交流がなく、政府間の有効な国際協力機構も存在しなかった戦後、共産主義の浸透が予想されるアジアの諸情勢に対応するためには、域内関係国の国会議員が手を携えて、「政府間の外交を補完」するべきであるとの発想から、フィリピン共和国、タイ王国、大韓民国、中華民国(当時正統政府)および日本の自由主義諸国の間において「アジア国会議員連合(APU)」が発足した」
その後、1980年に独立を達成しつつあった太平洋諸国の熱烈な要請に応じる形で「アジア・太平洋国会議員連合」と名称を変更した。そして、太平洋諸国も次々と加盟した。
「アジア・太平洋地域諸国間の友好親善強化、平和と安定の確立、真の自由・民主主義の維持、域内の繁栄の促進を目指す」という意思は、おそらく並々ならぬ強さだったのだろう。過去の総会の写真には、すでに歴史上の人物となった歴代の首相、外相、国会議員の顔が並ぶ。モノクロのそれら写真は、当時の有力国会議員たちの滋味深く、真剣な眼差しを写している。



